講師一覧

9期生のご紹介

講座受講時の自己紹介文から抜粋しています。

 

西村 幸太郎

大分県/弁護士

みなさまこんばんは。
自己紹介をということなので,投稿させてください。
福岡県豊前市で,交通事故の損害賠償請求を中心に取り扱っている弁護士です。(弁護士なり立ての頃は福岡市で倒産処理と人事労務分野ばかり扱ってましたが,取扱分野もずいぶん変わったものです。)
相続じゃないんかい!と言われそうですが,,,
たまにはこんな自己紹介もいいかなと思い,試みに書いてみます。やや長いですがお付き合いください。
福岡県はただでさえ全国ワースト3などと言われる事故多発地帯。しかも,私のエリアはド田舎なので,圧倒的な車社会。豊前警察署管内では年間1400件の事故が生じているとも言われ,事故はやたら多いんです。私が東京海上と仲がいいのもあって,自然と事故処理の依頼が多くなり,いまや業務の半分以上は事故処理です。
事故処理って,法律のことだけ考えてても,解決できないんですね。どんな事故か?を特定するのに自動車の知識や工学的な知識も必要ですし,お怪我に関しては整形外科領域を中心に医療・介護の知識も必要。自賠責,任意保険,健保・国保,労災などなど保険の知識もないと全く太刀打ちできません。死亡事故では,本来生きていれば得られた年金に関する賠償とかも問題になって,年金の知識がないと弁護過誤になりかねない。何より人間相手ですので,交渉術とか心理学とか,そういうのも勉強しなさいと言われます。
世の中に生きた問題を解決するにあたって,法律の知識でできることなんて本当に限られているなぁ。むしろ,弁護士になってから,そう痛感したものです。
事故処理のなかで,たくさんの悲惨な事故を見ていると,本当に,人っていつ亡くなるのかわからない。あんなに元気だったのに…。そう思う機会も多い。
ご遺族からお話をお聴きしても,故人ともっとよくコミュニケーションをとっておきたかったという後悔を耳にすることもしばしば。
そんなこんなで,段々と,人の生死について,よく考えるようになりました。
比較的最近,母方,父方,双方の祖父母の死を経験したこともあって,死生観とか,以前より真剣に学び,考える機会が増えたんです。
そんななか,相続分野でも,生産性のない骨肉の争いを何度も経験。そのたび,どうやったら故人から遺族に対して幸せにバトンを渡せるんだろうと考えるようになりました。
しかし,交通事故と同じ悩みが…。ここでも,法律でできることは限られているなぁ,後始末しかできない弁護士は無力だなあと思い知って,どうやって人の死をめぐるお困りごとにかかわっていこうかと悩みました。そんなときに…
2級検定のFAXが届いたわけです!(笑)
素敵な出会いをいただいた協会の方々には感謝しております。
2級は正直,FAXを見て軽い気持ちで参加したというのが本当のところです。しかし,1級でも学びを深めるにつれ,「ただ名刺に肩書を入れるだけで終わりたくない,終活に深くかかわり,広めていきたい」という思いが強くなり,今回の講習に参加するに至りました。
私なりにいろいろ悩みながら活動をしていましたが,本講座を経て,みなさまの取り組みを拝見しながら,さまざまな気づきと刺激をいただいております。
ぜひ,みなさんと一緒に合格して,一緒に講師として活躍できればと思っています。なかなか大変ですが,みなさま,最後まで頑張りましょう!
講師の先生方,今後ともよろしくお願いいたします!!
 

佐藤 美幸

長崎県/寺族

佐藤美幸 (サトウミユキ)受講者です
1965年2月生まれ 56歳 O型
私は長崎県佐世保市の曹洞宗の小さなお寺の寺族(住職の妻)です。
飾り巻き寿司マスターインストラクター【笑顔まんまる飾り巻き寿司教室】を主宰し、【お寺ごはん】の講師もしております。
昨年令和3年12月には佐世保市地域コミュニティセンターで終活講師デビューしました✌️
手応えが凄い‼️
終活はこれから必ず【大人の義務教育】になる!!!!!
終活を始めるきっかけは……
8年程前に同居していた主人の母がアルツハイマーとの診断を受け、認知症介護・悩んだ末の施設入所・保険の手続き・看取りの判断など経験したことのないことに直面😱
(義母は30キロ台と痩せていますが元気そうです)
またお檀家様からお墓や葬儀葬祭のご相談や身寄りのないお檀家様のもしもの時の相談が多くなってきたことから、専門知識を学びお寺を何でも相談できる窓口にしたいと思い"自ら探し出して"【終活カウンセラー協会】の門を叩きました。
(FAXは送られてきていません)笑
昨年は父のアルツハイマーの診断から手続き、エンディングノートを使った親の終活で父が私に伝えたかったことがわかり改製原戸籍で200年ほど前の先祖に辿り着きました。
また父がペースメーカーの植え込みをしたことで知らなかった注意事項を知り身体障害者手帳の申請から交付、さまざまな控除やサービスの手続きをすることに...
終活の勉強を始めて『知らないことが多すぎる』ことを知り、今は【無知の知】からもう一歩先に進もうとしています。
勉強するたび不思議と実務と結びつき右往左往しながらひとつひとつこなしています❗️
学んでいてよかった〜\( ˆoˆ )/
これまで人生で"今が一番いい"と思っています‼️
合格とその先を想像して泣いても縋りついて『やる‼️やり抜く‼️
武藤代表、賀集副代表、講師のみなさま、事務局のみなさま、同期のみなさん、どうぞよろしくお願いいたします。
お正月早々暗くて重くなりそうなので裏の紹介は……次回🖐

 

澤井良一

京都府/不動産業

この度、講師養成講座を受講に参加させていただいております澤井 良一(さわい りょういち)と申します。年齢は47歳。京都府宇治市在住。大阪市中央区で不動産業を営んでおります。関西弁が治りません。
終活をやりたいと思ったきっかけは、2020年8月に母親が癌で他界したことです。
癌の告知から約3か月でこの世を去ったものですから、母がどういう人生をたどったのか?言い残したことはなかったのか?死後にしてほしいこと等についてじっくり話す機会がなかったことが悔やまれます。
本人も、死が近づいていることを気づいていましが、生への望みを持っていたため、そういった話を切り出す勇気がありませんでした。
その経験を踏まえ、自分自身にとっても家族や大切な人にとっても、元気なうちから「終活」をするべきだと痛感し世に広めていきたいと思うようになりました。
また、仕事柄、相続まつわる相続案件を取り扱っており、不動産オーナーより自身に相続が発生した場合を想定した相談をよく受けます。相談内容それことが「終活」。
そういった中で不動産のみならず、お客の人生に寄り添い終活をサポートしたいと考えております。どうぞ、宜しくお願い致します。

 

川本恭央

埼玉県/墓装用品販売業

川本恭央(やすお)です、
1965年生まれ56歳です。父は他界し母と妻、長男長女5人で東京に住んでいます。
仕事は有限会社川本商店の代表、取り扱いは墓装用品(ステンレス花立等々)、お墓に行って石以外のものを全国に納めています、私で三代目、四代目の長男も入社してくれました。
今、お墓=墓石でなくなってきており業績も横ばいです、そのお陰様で色々なことに挑戦しています、
現代版長屋終活カフェ"かのん"、お寺の再興事業"みんてら"、ご遺骨の力を借りた"尊骨協会"
これからも目の前の人が安穏な気持ちになっていただけるよう待っていきます。
いつもドキドキの川本です、宜しくお願いいたします

 

 

稲葉みどり

東京/人材サービス業

こんばんは、稲葉みどりです。
山口県出身で、現在は、東京都葛飾区に住んでいます。
1966年4月生まれの55歳、ゴーゴー(55)の歳だと、新たな挑戦で終活の勉強を始めました。
2020年12月13日(日)に、終活カウンセラー初級(2級)、今年18期終活カウンセラー1級、そして今回第9期終活カウンセラー協会認定終活講師養成講座に、参加しています。
現在は、人材サービス会社で、内部監査の業務を担当しています。「終活」とは、全く関係ない仕事です。なぜ、「終活」にたどり着いたかというと、中山先生と同じ「キャリアコンサルタント」の国家資格を、「部下の話をちゃんと聞きたい」と思い取得しました。そのうちに、キャリア(仕事)だけではなく、一生最期まで、話が聞けるカウンセラーになりたいと考えて、昨年12月終活カウンセラーと、相続診断士の講座を同時に申し込んで勉強を始めました。今年の11月からは、葛飾区が主催する市民後見人養成講座に参加し、1月中には終了し、後見支援員としての活動をする予定です。(ほぼボランティア活動です。)
また今年、ゴーゴーの歳だと、好奇心の赴くままに、「Well-Being Dialogue Cardファシリテーター」という資格を取得しました。慶応大学の前野隆司先生の「しあわせの4因子」を利用したもので、利用すると、幸福度が上がるというカードのファシリテーターです。
https://www.well-being-dialogue-card.com/
幸せになりたいって、心から望む今日この頃です。
幸福度診断、してみませんか?
https://well-being-circle.com/

 

柿塚健太郎

宮崎県/石材業

宮崎県宮崎市で石材店をしております柿塚健太郎と申します。年末に引いた風邪が悪化、箱根駅伝で母校の優勝を観ていたくらいしか記憶にない寝正月を過ごしておりました。あらためましてよろしくお願いいたします。
会社は昨年で創業70周年、現在2代目の父が社長をしておりますので私が3代目となります。柿塚という姓は全国でも珍しく、200名中盤くらいしかいないそうです。元々は熊本県の天草で石屋をしていたのが一族の出自らしく、私の曽祖父(うちは分家になるので、祖父が初代となります)が戦前宮崎県に流れてきて石材店を始めたのが宮崎県内の柿塚のスタートらしいです。ちなみに「中島美嘉」は「なかしまみか」、「鬼束ちひろ」は「おにつかちひろ」のように、九州の人に多いのですが名前は濁らないことが多く、柿塚も「かきづか」ではなく「かきつか」が正式となります。でもどちらでも良いので大丈夫です◎
さて、寝正月でしたので、本日やっと初詣に行くことができました。例年は家族旅行の一環として鹿児島県の霧島神宮に行くことが多いのですが、昨年4月に子どもが生まれたので今年は宮崎市内の有名な観光地でもある青島神社に参拝してきました。私は野球詳しくないのですが、キャンプシーズンになると読売巨人軍が参拝に来るところですね。昨年は「出産祈願」だったのが今年は「家内安全」にお願いが変わりまして、そんなところで人生の新たなステージをあらためて感じた今日一日でした。
ちなみにおみくじを引いたら大大吉でした。大吉の上があるんですね。学問は「努力すれば必ず叶う」でした。青島神社でいただいたパワーを皆さんにもお分けして、全員で講師検定合格できるよう頑張りましょう!
 
 

吉川尚子

宮崎県/臨床検査技師

宮崎県の吉川尚子(キチカワヨシコ)です。1962年6月生まれです。なんと今年年女で6月に還暦(60歳)を迎えます。
一度決めたこと(目標)、自分が正しいと思った道を突き進む性格でしたが年を重ねるごとに勢いがなくなってきてました。新年の寅年となりどんな困難があっても必ずやり遂げるという強い意志と揺るぎない信念を持ち「皆さんと一緒に頑張っていけたら良いなぁー。」と思っております。
職業は臨床検査技師です。退職したら別の違った第二の人生を歩んで行こうと思いとりあえず収納整理アドバイザーを取得しました。取得後御一緒させて頂いた業者の方から終活カウンセラーのお話を聞いたのですがその時は右耳から聞いて左耳へと流れただけでした(笑)
そして55歳のある日親友から突然「会いたいから時間を作って欲しい」と。何事かなぁーと思い久しぶりに会った親友の口から「膵臓癌で余命6か月と宣告された」という言葉でした。保育園からずっーと今日までの共に過ごしてきた思い出話や、私に対しての想いなどを語ってくれました。物静かに穏やかに話す親友の姿は、まるで映画か何かのワンシーンを観ているかのようでした。癌の宣告を受けて既に二ヶ月が過ぎており痛みも激しいようでした。そんな状態でも話せるうちに私に直接会って話したい伝えたいと、形見を直接渡したかったと。「突然亡くなる人に比べたら、私にはまだ時間があるから幸せなんだ」と語る親友の強さにただただ驚かされた時間だったのを昨日のことのように思い出されます。
残された短い時間で自ら遺品を整理し大好きだった紫陽花を墓石に刻んでほしいとお墓の注文まで済ませてきたと短い時間での死に支度の「終活」。癌と宣告を受けてから僅か四ヶ月で、自分らしく最期まで生き続けた親友。突然の宣告から短い時間の中で精一杯生きた証を残そうとしていたと思います。あの時に「エンディングノート」の存在を知っていたら、親友はあの時以上の満足のいく「終活」が出来たのではないだろうかと思いが募り、私自身も「終活」についての知識があったらもっともっと彼女の心の支えになれたのではなかろうかと。
突然の親友とのお別れにより自分に残された時間を考えることで「終活」について様々と気付くことができました。何となくではある「終活」について自分の元気なうちに学んでみようと思い二級検定講座を受講したのがきっかけです。
講座二日目でお伝えしましたが今まで検体(血液・尿・喀痰など)を相手に仕事をしてきた私が自分の気持ちを上手く伝えることが出来る様になるのだろうかと不安だらけですが出来る限り皆さんについていけるようにめげずに頑張っていきたいと思います大変遅くなった挨拶ですがこれからもよろしくお願いいたします。皆さまとの素敵な出会いに感謝です。
 
 

川山相幸

埼玉県/不動産業

生まれは東京で、目黒区→葛飾区→墨田区と都内をおよそ2年間隔で転々として、小学2年生の時に埼玉県大利根町(現在は加須市に吸収合併)に移り住み、高校卒業までそこに住んでいました。すごくド田舎なのですが、住めば都といったところです。何の取り柄があるのか?と言われると苦しいですが、”ささのは~さ~らさら~”のたなばたさまの作曲者さんがこの町の生誕ということで、押しボタンを押すとメロディーが流れるというメロディー橋があったりしますが・・・。
高校は、最近不正事件で巷を騒がしていた某N大学付属高校を平凡な成績で卒業、某N大学理工学部が最終学歴です。
大学を卒業する時に、終活・・・就活←こちらでした(^^;)に敗北し、在学中のアルバイト先でフリーターを1年間しました。魚屋さんでしたが、あまり魚のことを覚えられませんでした。
その後、父の勧めで、韓国にハングルをマスターすべく留学に行きました。が、その年に父ががんを患っていることが分かり、2年生存率が50%、2年生存率が10%未満という告知がされました。頭が真っ白になりました。必ず再発する、再発したら生存できる人は少ない、と言われました。どうしよう、どうしよう、と、どうにもならない気持ちの中、韓国で大きな事故をおこし、負傷退場という感じで帰国を余儀なくされました。
さて、私の実家は金属部品等の製造業を営んでおりました。私は団子3兄弟の、自分が一番です。当時、3人とも家業からは離れておりました。
私は、3ヶ月間入院して、退院の次の日から父の会社に入社しました。がんの手術をした後は、本当に元気になったのです。しかし、抗がん剤治療の副作用は大変なもので、私は跡取りのつもりで毎日父から教えてもらおうとしていました。しかし、父は何も教えてくれません。それどころか、会社に来ることも少なくなりました。どうやら家族や従業員の前では元気にふるまおうと考えて、調子の良いときに出社というところだったのでしょう。今思えば、甘い考えで、社長の息子だからということで、上から目線の考え方で会社の経営など出来ないぞ、伝えてくれたのかと思います。
父の会社に入社して1年のころ、父母と一緒に行きつけのお寿司屋さん(廻るとことです)で夕食をとっているとき、唐突にあっけらかんと、『がんが再発した』と、父から告げられました。本当に覚悟はしていましたが、本当に。私はその食事を途中で、仕事が残っているからと切りあげて、車で移動しました。涙で前が見えない、大声をあげて泣きました。今までの人生の中で、あれほど泣いた日はありません。あれほど悲しんだ日はありません。あの日ことを思い出すと、今でも涙がでます。止まりません。
申し訳ありません。自己紹介らしからぬ方向へ行ってしまう、私の悪い癖です。
今までのお話は、2003年までのヒストリーです。その後は、会社は私が継いで、兄が入社して、結婚して、子供が2人出て来て、12年間下請けイジメに耐えてきましたが、もうやってられんと、ちゃぶ台をぶったおすように製造業をやめて、宅建士の資格をっとって、宅建業を始めました。40歳を過ぎてから、本当に知らない業界に飛び込むには、はったりと度胸です。今でも、業界のしきたりや風習など分からないので、独創流で業界のタブーにも突っ込んで行きます。
突っ込みすぎて、3年前に脳出血で倒れました。左半身が、ピクリともしませんでした。感覚は無いのですが、面白いことに、痛みだけは感じるんです。本当にこの痛みは、頭が狂いそうになります。実際狂うんです。今では手足は動きますし話も出来ますが、左半分に麻痺が残っています。
そんなこんなをしていた昨年の今頃だと思います、メールかFAXか忘れましたが、終活カウンセラー2級の案内がありまして、またあの日のことを思い出しました。父の時にはまだまだ人間として未熟でしたが、今は違います(はったりと度胸がある)!。
私にはまだ母がいます。カミさんにも母がいます。それよりもなによりも、私とカミさんも、死んでもおかしくない病気にかかり、それでも生きている。そんな自分だから『生きる』を伝えたい。それを仕事にしたいと思いました。そうした思いで、今、この講座を受講しています。
自己紹介になったか分かりませんが、こんな性別男45歳辰年てんびん座既婚2字の父です。
みなさまの足を引っ張るとは思いますが、無事に合格できるようにしがみついて行きますので、よろしくお願いいたします。オミクロンの脅威がある中で寒い日が続いています。みなさま方におかれましては、お体ご自愛下さい。そして、来週の講座ではよろしくお願いいたします。