怒苦打身日記 ~協会顧問 喜多村悦史のブログ~

怒苦打身日記⑦ 李登輝さんを悼む

台湾の李登輝元総統が730日に亡くなった。

著名人の追悼文が出ている。その中の一つ、アルピニスト野口健さんの「直球曲球」(産経新聞86日)の同胞愛を説く文が目に留まった。

 戦前の台湾は日本統治下にあったから、

日本兵士として出征し、死傷した者は少なくない。

烏来高砂義勇隊主題紀念園区の高砂義勇隊慰霊碑[01072022697]の写真 ...

特に原住部族民の勇猛果敢は、高砂義勇隊慰霊碑の存在でも知られている。野口さんは彼らの遺骨収集活動をしているのだが、李登輝総統を訪問した際に言われた。

 

「故国のために命を懸けてくれた人に敬意を払わなければならない。しかるに今の日本人は、独立国家であるという自主性、その国民であるという誇りを失っていないか。特に政治家からこの二つがなくなっている」

 野口さんが

「日本の総理大臣になったら何をやりたいか」と尋ねると、

「独立国家にふさわしい憲法改正、道徳や価値の教育」との返事だったという。李登輝さんは22歳まで日本人であったことを誇りにしていた。

 

「若い人には日本人としての誇りをもって頑張っていただきない」。野口さんはこのメッセージを胸にきざむ。

調査】 日台関係良好、台湾が日本人調査 74%「親しみ感じる」 韓国 ...

敗戦で日本は台湾の領有権を放棄したが、

その居住者の運命には当時の政治情勢の中で出来ることをしなければならなかった。「もう日本人ではないのだから戦時補償はしない」と切り捨てたことに対して野口さんは憤慨している。

同朋であった者への裏切りとの認識だ。1970年代、日本政府は外交関係を北京に乗り換え、孤立した台湾は国連から追放される。真の理由は何だったのか。10億人の巨大人口市場を得る算盤勘定優先だったとすれば情けない。

 

6.喜多村 悦史 顧問

終活カウンセラー協会顧問 喜多村悦史

 

元経済企画庁総合計画局計画官

元社会保険庁企画・年金管理課長/元内閣府経済社会総合研究所総括政策研究官

東京福祉大学・大学院 副学長兼教授

1951年広島県福山市生まれ。京都大学法学部卒。

1974年厚生省(現厚生労働省)入省。

保険局、年金局、保健医療局等で社会保険制度の企画・運営等に従事。

生活衛生局水道環境部環境整備課浄化槽対策室長、生活衛生局企画課長、

内閣府経済社会総合研究所総括政策研究官等を歴任

2020年08月06日