怒苦打身日記 ~協会顧問 喜多村悦史のブログ~

怒苦打身日記52 強制退去被害を忘れるな

1951(昭和26)年のサンフランシスコ条約で、日本政府は明治以降に獲得した新領土をあらかた放棄した。この条約で日本が領域をめぐって論議がある。特に北海道根室市から指呼の鼻先にある国後(クナシリ)、択捉(エトロフ)、それに歯舞、色丹の諸島については、歴史上日本領ということで確定しており、紛議になったことはない。なおかつサンフランシスコ条約にソ連は署名していないから、日本が領有権を放棄してもそれがソ連領になる根拠にはなりえない。通常の論理ではこうあると思うのだが。日本政府の言い分はどうにも明瞭性に欠ける。

 戦闘行為終了後の8月末から9月初めにかけてソ連軍が北方領土に上陸してきた。日本守備隊は武装解除に応じており、住民を守る者はいない。住民はソ連軍に不法使役され、略奪されるままだった。1947(昭和22)年10月初旬、着の身着のままで追放された生存者の記憶証言を新聞署名記事(宮本雅史「産経」831日)から抜き出す。

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-…貨物船から伸びるクレーンの吊り網に荷物と一緒に入れられ、一気に10メートルほど引上げられたから、みんな必死に網につかまり、悲鳴を上げた。…途中、大しけにあった。甲板に作られた仮設トイレは波をかぶり、汚物があふれ、その海水が船倉にも流れ込んできた。…-

家畜用の貨物列車に積み込まれ、トイレは車両の中央に置かれたバケツ。ユダヤ人虐待で象徴的に描かれるシーンだ。映画「ダンス・ウイズ・ウルブズ」のラストシーンでは、家、家財も没収されたインディアン部族の女、子どもが騎兵隊に追い立てられ、一面の雪の中、わずかな荷物を積んだ馬の後を歩み去る。心優しい日本人はこうした迫害に憤る。被害者が同胞の場合、なぜ怒りが燃え上がらないのか。

2020年09月20日