4年前の5月15日に私の友人が亡くなりました。
彼はまだ48歳で、奥様と19歳と16歳の娘2人をこの世に遺しました。
亡くなる前の日に偶然お見舞いに行きました。
その時はっきりと命が終わるときを迎えているのがわかりました。
そしてその翌朝、彼は逝きました。
納棺を終え、家族と共に彼の自宅へ行きました。
葬儀含む様々な準備をするためです。
雑然とした彼の部屋。しかしそこには家族への想いがあふれんばかりに詰まっていました。
3台以上あるパソコンはパスワードが掛かっている。
私たちが10分くらい考えればわかる場所にちゃんと記載がありました。
そして、今までの人生をどのように生きてきたのか、
何千枚にも及ぶ写真と娘への想いのある品がたくさんありました。
彼の人生にやり残しはあったのか。
若くして無念だったと思う。
娘の結婚式も孫も見たかったと思う。
未来をみたらキリはないが「今」を精一杯生きていた証がありました。
半年に及ぶ入院があったことを考えると、
彼は動けるうちに様々な準備をしていたのでしょう。
それは何のために?
愛する家族のためであったことは間違いありません。
昨今、「人生100年時代」という言葉をよく聞きます。
根拠として、今日本には100歳以上の方が約9万人いらっしゃいます。
30年前は4千人でした。
そうです、毎年増えている。
100歳まで生きる確率も着実に上がっているのです。
この二つの側面から、
いのちの終わるときがいつかはわからない、
だからこそその時に後悔のないようなことを準備しておくこと。
そして、長生きをリスクにするのではなく、「楽しく」生きるために今からどうするのか。
この二つを考えることが「自分らしい終活」をみつける早道だと思います。
私自身、最期には「いい人生だった」と思いながらできれば前のめりに死にたいと思います。
まだ49年先ですけど(笑)
日毎に寒くなります。どうぞ元気にお過ごしください。
武藤頼胡