怒苦打身日記 ~協会顧問 喜多村悦史のブログ~

怒苦打身日記㊵ 一筆啓上

福井県の旧丸岡町(現坂井市)は「日本一短い手紙」で知られる。

毎年の入選作を出版しており、手にしたこともある。ただ、なぜ同町がこの手紙コンクールを実施しているのかは知らなかった。同地から蕎麦が送られてきて、同封されていた観光パンフレットで由来を知った。記憶は60年近い昔に飛ぶ。

福井県の写真素材|写真素材なら「写真AC」無料(フリー)ダウンロードOK

 日本で歴史上一番短い手紙を知っているか。小学校時代の先生が黒板に書いた。

「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」

 どうだ、要点はすべて盛り込んでいて、ムダがない。手書きはこういうふうに書くものだと教師。「ふーん」。坊主頭のボクたちは一応、神妙に頷いた。

 パンフレットによると、手紙の作者は徳川家康の重臣本多作左衛門(鬼作左で知られる)。そしてお仙は女の子ではなく、嫡男の幼名で後に丸岡城主になる本多成重という。上級武将にとって馬は必須の武具。いつ予備兵の招集があるかも知れぬから、家の子郎党の管理、替え馬の手入れ、跡取り息子の育成を怠りないように。

お仙は娘の名と思い込んでいたボクは少々恥じた。

ネットで紹介されている過去の受賞作品を読んだ。

戦地の部隊にいる息子に届いた母の手紙「がっこさ えってなェがら、かぐごど わがんなェ。いぎで かえってこいよ。」息子は母が読めるようにかなで返事「てぎのたま とんでこネがら、まだよんでる。なんどもよんで、じがけエてしまった。」(2003年長倉良美さん83歳)。こちらももらい泣き。

「お仙‣・」より短い手紙もあった。息子が父親に「やるじゃん」。父の返事は「まあね」。(2005年高嶋智樹君11歳)。父親の背中が大きく見える。いい親子関係。

2020年09月07日