怒苦打身日記 ~協会顧問 喜多村悦史のブログ~

怒苦打身日記357 ペリー来航時の秘された不祥事

西洋列強によってアジア各地が植民地に堕していく中で、“鎖国”を唱えていればその累が及ばないかのごとく太平楽を決め込んでいた江戸幕府。その夢を一瞬にして覚醒させたのが、ペリー提督率いるアメリカの東インド艦隊。「蒸気船、たった四杯で夜も寝られず」の狂歌が読まれた。

艦隊の浦賀沖来航は185378日(嘉永663日)と記録されている。その前に沖縄(当時は薩摩藩の影響下にあった琉球王国)に停泊していたことが知られている。このときに何が起きたのか。ライターの小山桜子さんの文章で知ることになった。

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幕末、ペリー提督が率いる黒船来航の裏側。強姦、発砲、略奪、条約締結の裏で起きた真実 | 歴史・文化 - Japaaan

 

小山さんの文章を引用しよう。

1853526日(嘉永6419日)、ペリー提督は浦賀に向かう前に薪水の補給を目的としてサスケハナ号を筆頭としたペリー艦隊を率いて那覇港に来航。琉球王府側の入城拒否を無視して6月6日に琉球王国に上陸しました。(中略)あまり知られてはいませんが、ウイリアム・ボード事件というのがあります。これは琉球でのペリー艦隊乗組員による最初の強姦事件です。1853612日、黒船艦隊の中の輸送艦レキシントン号の乗組員だったウイリアム・ボード水兵が仲間2人と船を抜け出し那覇の町に上陸。3人は沖縄の酒泡盛を盗んで飲み、かなり酔っぱらってしまいます。泥酔して寝入った友人2人をよそに、ボード水兵はナイフで沖縄の女性を脅して強姦。被害者はなんと当時54才の女性だったといいます。騒ぎに気付いた村人6人が石を投げつけてボード水兵を追いかけた結果、ボード水兵は誤って海に転落死してしまいました。(後略)。」

 

沖縄の人たちは非武装。しかし女性への乱暴を見て見ぬふりはできない。そこで投石で対抗して懲らしめた。韓国の文大統領が主張する20万人ものうら若い女性を狩り立てて慰安婦にしたという話。親兄弟、縁故者、地域住民はだれ一人抵抗もしなかったのか。常識的にあり得ないだろう。抵抗の記録が皆無ということは、強制連行そのものが実はなかったのではないかと考えるのが常識的であろう。

20万人にはすべて名前があり、戸籍があり、血縁者がいる。連行されたとされる者すべてに言い伝わる話がなければおかしい。しかるにそうした聞き取りすらしなかったという。ペリー艦隊兵士の乱暴事件では、その兵士の行動が記録されている。それが当然だ。

政府は教科書の「従軍慰安婦」なる不当用語の見直しをするそうだが、用語の前に事実そのものがあったのか、被害者はだれで加害者はだれか。そして何がどのように行われたのか、そのことの検証をしなければならない。そのイロハを省略している河野洋平官房長官(当時)談話はお粗末以前の次元である。この問題に真摯に向き合うには、河野談話の撤回が出発点でなければならない。

 

顧問 喜多村悦史

2021年07月22日