怒苦打身日記 ~協会顧問 喜多村悦史のブログ~

怒苦打身日記356 キャンセルの責任所在

コロナで東京は4回目の緊急事態宣言(712日から)。そうした中、東京の新規感染者数が千人を超えたとマスコミが大々的に報じている。相手は空気感染のコロナウイルス。新規感染が出てはなぜいけないのか。ボクの一貫した疑問である。

 コロナは要するに風邪。そのうちでタチが悪いのが、今回の武漢発でその後も変異を繰り返しているとされる新型コロナ。防御すべきは、感染ではなく、重態化のはずである。そのあたりの報道姿勢がわからない。

先週714日のコロナ対策閣僚会議で菅総理大臣が話したところでは、東京の千人超の感染者数を確認した上で、重症者数は54人でほぼ横ばいで、病床には余裕があるとのこと。また東京都の新規感染者に占める高齢者の割合は、今年初めは20%台だったが、直近は4%台まで下がっているとのことだ。要するにワクチン接種が進めば落ち着く事象である。

 ではなぜワクチン接種が他の先進国に比べてペースが遅いのか。薬事承認が迅速に行われず、輸入に手間取ったからだ。安全性を無視すれば承認は早くできた。国産ワクチン開発に注力すれば調達は迅速にできた。要するに政治に決断力がなかった。

ただしこれらはいずれも後知恵で言えること。安全性にこだわり、慎重承認手続きを要求したのはだれか。ワクチンの開発や備蓄は無駄だからと経費投入に後ろ向きだったのはだれか。平時の感覚から抜けきれない手続きの結果、そうなっていたのだとしたら、政策プロセスの失敗であり、批判のブーメランは国民自身に戻ってくる。今後は失敗を繰り返さないという決断が、今は必要なのだ。

 3,579点のキャンセルのビデオクリップ/映像 - Getty Images

「酒類提供の禁止」措置にも言える。最初は協力していた飲食店が、これ以上は無理と反旗を翻している。昨日、都心を歩いていたら、某政党が「西村大臣を辞職させる」と気炎を上げていた。でもじっくり考えれば、ポイントはずれであることは瞭然(りょうぜん)だ。その政党の主張は一貫しているのか、マスコミはそういう点こそ検証すべきだろう。

当初の飲食店の協力姿勢は純粋なものだったと思う。ところがそれに協力金を支給するなどというポピュリズム的政策を打ち出したバカ政治家がいた。カネをもらったのでは協力ではなく、買収、言葉が悪ければ取引だ。その関係が定着すればどうなるか。カネをもらえないのであれば協力できないとなるのは必然だ。要点はコロナがいつまで続くかの見通しにあったのだ。短時日に収束するとの見通しであれば、飲食店の所得保障という意味での集票あるいはバラマキ政策であったとして道義的批判で終わるだろう。ところが一般国民が肌で感じていたように、コロナは収束しない。共存するしかない。つまり見通しの失敗なのだ。そこで検証すべきは、政治家はなぜコロナが短時日で収束するとの見通しを持ったのか。バラマキ政策に賛同した政治家の個別聴聞が必要だ。感染症専門家はどう予測し、提言していたのか。こうしたことこそ国会の国勢調査権の発揮箇所だろう。

 

コロナの見通しが争点と思われる事件を見つけた。あるカップルが、コロナ緊急事態宣言が出たことから結婚式をいったん延期することにした。結婚式場予約は数か月前でも遅いくらいだから、コロナでのキャンセル事例は無数にあっただろう。ただこのカップルもキャンセル手続きをした。そして式場側は規約に基づくキャンセル料を要求した。

平時であれば当然の措置だ。ところがコロナの緊急事態だから親戚友人多数を集めることは慎むべきである。したがってこのキャンセルは自身勃発同様に「不可効力」であるからキャンセル料の支払いをすべきではないとカップルは考えた。

それで揉めているわけだ。双方一歩も引かず、裁判所は判断に迷いそうだ。

https://www.bengo4.com/c_18/n_13287/

 

 双方の主張はネットで確認していただくことにしよう。一つだけ数字を上げれば、ブライダル業界のコロナ経済損失の試算は1兆円に上るらしい。一方、カップル側に視点を合わせれば、一生一度の祝典はにぎにぎしくやりたい。

 どちらに非があるのか、それを法律の趣旨に則って判定し、悪い側にきっちり灸をすえるのが司法、裁判所の仕事。今回の原因はコロナ。式場側もカップルも悪くない。国民が連帯して対応しようというのだから、双方が折り合って我慢する。こうした場合に裁判所にどういう判決を書けというのか。判断基準が必要だ。

 こういう時こそ行政の出番のはずだ。キャンセル時の負担割合のガイドラインを作る。そしてそのガイドラインに納得しない当事者だけが裁判で争う。これがあるべき姿ではないか。この場合、行政の費用は、専門家の声を聴取する際の日当程度で済む。

ところが「カネさえ配れば文句ないだろう」と後先考えずに、協力金だ、補償金だとバラまくことに人気取りをしようとする政治家が現われる。すべきことをせず、すべきでないことをする。その根っこは、日本国民の連帯精神を信じていないからである。情けない。

顧問 喜多村悦史

2021年07月21日