怒苦打身日記 ~協会顧問 喜多村悦史のブログ~

怒苦打身日記 51 北方領土

北方領土は「第二次世界大戦の結果、ソ連領になった」。ロシアのプーチン大統領の言い分だ。ヤルタ協定を持ち出すが、日本があずかり知らない極秘協定に拘束されるいわれはない。そもそもソ連とは中立条約を結んでおり、戦争相手の連合国の一員でもない。旅行から帰るとわが家に占拠者がいて、「お宅のお向かいから家を自由にしてよいと保証された」と開き直っているようなものだ。

通常国の指導者であれば「バカも休み休みに言え」と一喝するところだろう。そうでなければ独立国の元首とは言えない。だが、日本国では相手の意に迎合することを外交ということになっている感がある。国民レベルでも同様だ。

「ヒビ割れが著しいコンクリート」の写真

高校時代、生徒会新聞へのクラス論文で揉めた。「アメリカは沖縄を返還せよ」の原文にボクも異論はなかったが、一つだけ注文を付けた。「沖縄返還と同時に北方領土返還も要求しなければ、日本が領有権を放棄したとソ連(当時)に誤ったメッセージを伝えることになる」。ところがこれがすんなり通らない。ソ連はああいう国だから、刺激すると逆効果になるとの意見が根強く主張されたのだ。

北方領土をめぐる領土関係の経緯は、当時の教科書では次のようになっていた。樺太は間宮林蔵の実地調査などで日本が先行していたが、ロシアが清国を圧迫する形でシベリアを急速に西進し、入植を始めたから、在住の日本人と衝突することになった。江戸幕府は1955年の通好条約で、樺太の領有権を棚上げして両国民の雑居地とし、千島列島を南北で分けた。その境界線が択捉(えとろふ)と得撫(ウルップ)の間。明治維新後もロシアの圧迫は止まらず、1975年日本は樺太全島をロシアに譲り、北千島を得た。1905年日露戦争後のポーツマス条約で、ようやく樺太の南半分を取り返した。

 

顧問 喜多村悦史

 

2020年09月19日