怒苦打身日記 ~協会顧問 喜多村悦史のブログ~

怒苦打身日記216 ひな人形の飾りどき

灯りをつけましょ ぼんぼりに、お花をあげましょ 桃の花。

五人ばやしの 笛太鼓 今日はたのしい ひな祭り。

3月3日はひな祭り。この時期になると40年近く前、60代早々で亡くなった義父を思い出す。

 

 

今年もひな人形を飾った。ほんとうは3段飾りなのだが、今回は最上段のお内裏様だけをリビングの飾り棚に。普段使用していない客間よりも、いつも視界にある方がいいだろう。表向きはそういうことだが、台から組み立てるのはいささか億劫という終活年代になったボクたちの現実的理由も。

 写真のように男雛が右(向かって左)、女雛が左(向かって右)。説明書きどおりにしているのだが、逆の説もある。公家政治の時代、左大臣が右大臣より上席だったという。そのならいで関西では逆の風習という。関東ではなぜ逆なのか。大正天皇のご成婚時にそう並ばれて以来と聞くが、確たることは知らない。

 写真をとくと見て、気づくことはないだろうか。男雛が体をやや左に傾け、女雛はやや右に傾けている。お互いに惚れ合っており、少しでも近づけようとしている。ボクにはそう思える。毎年ボクはそう言い、娘たちは笑う。「のろけを言う歳ではないでしょう」と。

 ひな祭りは別名、桃の節句という。桃の花が見ごろの頃の季節行事だったのだろう。それが旧暦では3月初旬であった。でも現代歴では桃の花を愛でるのは3月末から4月にかけて。とすると現代人のひな祭りは少々早すぎるのかも。

 40年近くの昔、わが家にひな人形が届いたのは、3月生まれの長女の初節句には早い、年明け早々だった。3段を組み立て、その前に着飾った長女を座らせ写真に収めた。

 手配してくれたのは田舎に住む家内の父。初めての孫娘の初節句が近い。しかしその時点で、急進性のがんを告げられていた。2月に入り、様態急変の連絡がきた。長女を抱きかかえ見舞いに走ったが、間に合わなかった。

立って歩くようになった孫の姿を見せることもかなわなかった。長女の桃の節句の写真は棺に納められ、義父といっしょに煙になった。義父はあの世で、まだ1歳にならない孫娘を膝に乗せて遊んでいるのだろう。

顧問 喜多村悦史

2021年03月03日