
怒苦打身日記 ~協会顧問 喜多村悦史のブログ~
南米のエクアドル。
地図上で場所を指し示せる日本人は多くないだろう。
※赤い箇所。
その地に旅行し、首都の街を歩いていたら、
「日本人ですか?」と声をかけられ、頷くと、強く抱きしめられた。
そしてその理由を次のように説明された。
「自分はポーランド生まれのユダヤ人だったが、ナチスの迫害から国外脱出を決意した。そのためには受け入れ国にビザを発給してもらわなければならない。諸国がナチスとの紛糾を恐れる中、隣国リトアニアのカウナス市駐在日本国総領事だけが、ユダヤ人数千人にビザ発給を続けてくれ、両親と自分は絶滅収容所を免れた」
以上は産経新聞の読者投稿「朝晴れエッセー」掲載(8月10日の安藤知明さん(78歳)の体験談の紹介だ。
当の総領事、杉原千畝さんの「命のビザ」は有名だ。
1939年9月ヒトラー・ナチスとスターリン・ソ連はポーランドを分割占領し、密約に基づきリトアニアはソ連に併合された。
日本は日独伊三国同盟(1940年9月締結)の準備中であり、ビザ発給停止を命ずるが、杉原さんは転属の9月5日までシベリア鉄道経由での日本通過ビザ発給を続けた。
杉原さんは1933年の北満洲の鉄道交渉でソ連の偽計を見破り、大幅譲歩させて国益を守るなど有能ぶりは国際外交界で知られていた。ところが外務省は1947年、彼の功績に対して免官(解雇)で報いたのである(1947年)。
だがユダヤ人は忘れていなかった。杉原さんを探し出し、イスラエル政府は「諸国民の中の正義の人」の称号を贈るのだ。それもあって2000年に外務省が名誉回復する次第になった。足跡を示す杉原千畝博物館は東京駅近くにもある。親が人の道を踏み外さなかったとの評価を受ければ、子や孫にとってこれに優る贈り物はないだろう。
喜多村悦史
2020年08月14日