怒苦打身日記 ~協会顧問 喜多村悦史のブログ~

怒苦打身日記111 神社がコロナで運営難

コロナの影響で神社の参拝者が減少

 コロナで運営難の神社に神社本庁が支援策を実施するとのことだ(産経115日)。コロナ騒動で参拝者が減少し、神社の運営も深刻になっている。賽銭や祈祷料がほぼセロの神社も少なからず、継続が難しいところも少なくないという。

一般の商業法人で売り上げ半減のところに対しては政府から「持続化給付金」の支給が行われているが、神社はその対象外とされている。

そこで神社本庁が、加盟の8万社に対し、①負担金の減額と②被災社向けの無利子融資を実施する。

 神社本庁では「地方の小規模神社を中心に支援を求める声が強かった。コロナ禍で神社信仰を維持するために、結束が必要」としている。結束の必要性はそのとおりだが、方法論や方向性としてどうなのだろう。

 

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本来なら邪気や無病息災を願うために参拝するはずが・・・

 神社信仰とはなにか。秋の収穫後の感謝、日照りの際の雨ごい、来敵退散、安産、家内平穏、災難防除…。

 ことあるごとに神社に集まり、集団で加持祈祷する。関係者がこぞって集まるのだから、三密そのものである。そうしたなかに疫病退散祈願もあった。

公衆衛生の見地から言えば、感染機会を作り出している愚行に見える。そこで今回のコロナに際して、神社ヘの参拝も抑制されることになったのだろう。

 だが三密排除にもかかわらず、コロナ感染は収束しない。都市ロックダウンの強硬措置をとったヨーロッパの主要国では、感染拡大の新たな波が起きている。

国民の行動を逐一監視把握、危険者の問答無用排除を極限まで徹底すれば、感染防止できるかもしれない。

 しかしそれは自由やプライバシーを放棄することでしか成立しない。その結果、コロナは収束するかもしれないが、その間に宗教心の基盤が失われ、国民精神も自由や民主主義を尊重しなくなるかもしれない。

邪気払う はずの社殿に人気なし コロナ退散の お札はなしや

顧問 喜多村悦史

2020年11月19日