怒苦打身日記 ~協会顧問 喜多村悦史のブログ~

怒苦打身日記160 裁判はゲーム

 袴田事件が再審になると報道されている。その先は予測の限りではないが、多分、冤罪で無罪ということになるのだろう。

 昭和41年に静岡県で起きた一家4人の殺人強盗事件だ。有罪で死刑判決が下された現在84歳の元被告が半世紀にわたって無罪を主張している。世間体には「もう許してあげたら」との心情が共有化されているだろう。

 三審制のもとでしっかり吟味されて確定した最終判決が、何十年も後になってから再審でやり直しになる。これはどういうことか。改めて、裁判とは何かを考えたい。

 

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 この問題を考えるうえでアメリカの法廷物ドラマは参考になる。筋書きは決まっていて、集めた証拠をもとに、代理人が丁々発止のやり取りをする。その説得力で勝負が決まる。そのゲーム性が見どころになっている。

 語弊はあろうが、裁判はスポーツと基本的に同じだと思う。テニスを例に取ろう。一方がサーブを打ち込むことで、ゲーム開始。エンドラインぎりぎりに押し込むかと思えば、ドロップショットで揺さぶる。

 強打のスマッシュやネット際でのボレー攻撃もある。双方が体力、知力を尽くして渡り合うが、そこにはルールがあり、違反の技を使用すると、反則を取られて相手のポイントになる。二度バウンドしたボールを打ち返すとか、直接コート外に打ち出すなどだ。ルール集に細かく規定があり、審判がしっかり目を光らせてゲームを進行させる。

 裁判の場合、ゲームのルールは法律集である。法律規定の解釈に関しては、先行解釈である判例が参考になる。審判役が裁判官であり、重大刑事事件ではアメリカ市民から抽選選抜された12人の陪審員がいて、有罪・無罪を評定する。

 20歳の娘が恋人殺しの疑いで逮捕される。重大殺人ということで検察は50年の刑期を要求する。殺人の残虐性から死刑制度がある州では死刑求刑確実の事案という設定だ。検察の証拠は豊富だが、絶対の決め手はない。

 弁護側も証拠の矛盾を突き崩すだけの材料を集められない。双方は司法取引も考えるが、被告が頑として無罪を主張している。

 弁護側は、独自の調査で別の真犯人を申告するなど、裁判遅延戦術として多彩な方策を繰り出す。しかし裁判が進み、ついに陪審員の評決日になる。しかし評決が夜にまで伸びる。弁護側も検察も気を揉む。

 被告は一貫して無罪を主張しているのだが、陪審のうちで被告に同情の所作をする者は少ないように見えた。ここで被告とその親は最終判断を迫られる。①最後まで突き進んだ場合、陪審が有罪判定をする可能性が高い。

 その場合の刑期は50年になるだろう。控訴して争うことは可能だが、一審を覆すだけの新証拠を得られる保証はない。②検察側も実は陪審の結果に自信がないのかもしれない。有罪を認めれば刑期は短期になる。ただしいったん司法取引成立すれば、その後の控訴は許されない。

 被告の無罪主張を信じる弁護士は①を主張するが、被告親子の苦渋の決定は②だった。10年の刑期であれば、出所後の人生やり直しが可能というのがその理由。

 司法取引成立により、裁判官は陪審員の評定室に赴き、協議中止を命令し、彼らは記録を破棄して解散、それぞれ帰宅する。周知のようにアメリカの陪審は12人全員の意見一致が求められるから、集約に時間がかかる案件もあるのだ。

 ゴミ箱に評定の下書きを捨てられていたのを裁判官が拾い上げ、ポケットにしまう。裁判官の中止命令がもう少し遅ければ、評決が出され、裁判官はそれに縛られていたはずだった。有罪判決言い渡し後、裁判官はポケットの紙片を見る。

 そこにはなんと「無罪に全員一致」と陪審員長の筆跡があった。司法取引しなければ、被告は無罪判決を手にできていたのだ。だが、司法取引が成立した今、裁判官も陪審員も口に出すことはない。

 一方、裁判終了後の弁護士事務所に検査ラボ会社から資料が届いた。捜査段階で警察が重視しなかった遺留品を弁護士が独自にDNA鑑定に出していたのだが、そこに新証拠が残されていた。それは殺害された恋人とは接点がないはずの第三者、すなわち真犯人の微量な血痕である。

 裁判中に弁護士側が苦肉の策として持ち出したのは、被告を一方的に恋するストーカーによる恨み殺人という見立てであった。裁判戦術であり、DNA鑑定依頼もひょっとしたら程度だったのだが、なんと真犯人にビンゴであったのだ。だが、すでに司法取引で事件は終了している。弁護士にできることはない。

 被告が刑務所に護送されていったその日の夜、弁護士は裁判官と同じバーで行き会った。「事件ではお疲れさま」と酒を酌み交わすが、被告が冤罪委であったことには、守秘義務も絡み、お互いに触れない。お互いの趣味であるテニスの試合を話題に盛り上がる。・・・

顧問 喜多村悦史

2021年01月07日