怒苦打身日記 ~協会顧問 喜多村悦史のブログ~
夫婦関係は無期限、永久ではない。婚姻という名称の契約に過ぎないのだから、離婚によって解消する。これに対して親子関係は終身解消できない。子が成長すれば、扶養や親権はなくなるが、遺伝子の半分を共有する血肉を分けた関係は永続する。
この前提に立って「夫婦別姓」問題を考えると、たちまちその本質が見えてくるはずだ。
「佐藤」姓の男性が「鈴木」姓の女性に恋をして、口説き落とした。鈴木の両親が男性に対し、「キミが鈴木に改姓するのが結婚条件」と言い、佐藤の親が「ウチだって一人息子だ」と激高して破談になる事例がどれほどあるものか。年に10件か、多くて100件か。
たかが苗字で恋仲の二人を引き裂き、子や孫との断絶に突き進む非人情の親がさほどいるとはとても思えない。双方ともそれほどバカではあるまい。どちらも何代も続いてきた由緒ある家柄の資産家の場合であっても、事業や財産を継承する者の確保が最優先するから、知恵を出して解決する。
本件の佐藤君と鈴木嬢がそれぞれ一人っ子であったとすれば、双方の両親が考えることは同じ。新夫婦が二人以上の子を成してくれることだ。そうすれば家名や家業の断絶を避けることができる。新婚夫婦が夫の「佐藤」姓を選んだ場合、子どもの一人を妻の旧姓である「鈴木」の祖父母の養子にする。
逆も同様で、新婚夫婦が妻の「鈴木」姓を選べば、子どもの一人が夫の旧姓である「佐藤」の祖父母の養子になる。養子で姓を変えるのは家業継承上の都合であるから、その子が成人し、事業の跡継ぎになる時点でよい。
一人っ子の鈴木嬢が鈴木産業の社長を継承するだろうが、結婚で佐藤姓になっているとまずいのではないかというのが夫婦別姓論だろうが、そんなものは枝葉末節の応用問題。通称使用でほとんど不都合はあるまい。
役者、作家などは芸名で活動し、本名と使い分けている。それで不都合があるとは聞かない。ボクにも文筆活動用のペンネームがいくつかある。
以上から分かるように、新婚夫婦が婚姻に際してどちらの姓を選択するかで揉めるのは、生まれてくる子がどちらの家名を継ぐかということなのだ。両家にとっては急いで決める必要はない。跡継ぎが確保できているという安心感が重要なのである。
新婚夫婦に二人以上の子が生まれることが最低条件。4人、5人ともなれば、安心感はさらに増す。少子化傾向が反転すれば夫婦別姓論議は下火になるに違いない。
何よりも大切なのは生まれてくるはずの子どもたちの幸せだ。兄弟姉妹が同姓であるのはその手始めのはず。「お兄ちゃんは佐藤で、私は鈴木。どうして?」と幼い子どもに悩ませる必要などみじんもあるまい。
顧問 喜多村悦史
2021年01月06日