怒苦打身日記 ~協会顧問 喜多村悦史のブログ~

怒苦打身日記157 自助と公助の中庸

 菅総理が昨年10月の所信表明で宣言したのが、自助と公助の関係。

 「まず自分でやってみる。そして家族、地域で助け合う。そのうえで、政府がセーフティネットでお守りする…」

 だが、これでは肝心なことが抜けている。自助努力をする気がない者がどう扱われるのかである。努力をしなくても公助で同じ保障が得られるのであれば、真面目に努力する意味はない。つまり公助優先ということにほかならない。

 福祉感には3類型があるとされる。このうち「政府依存型」は公助優先であり、「市場優先型」は自助優先だ。この中間型が血縁、地縁、社縁、同業の縁による相互扶助を基盤にするもので、互助とか共助と呼ばれるものが優先する。

 

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 日本社会は、同一言語を話し、同一の祖先に連なると自覚する人々が、同一の文化伝統のもとに暮してきた。したがって純粋な自助はなく、互助の要素を含んでいる。国家統制を厳しくしなくても社会の連帯を維持できてきた。

 こうした社会では、自助優先でも公助優先でもなく、互助・共助優先になるのが自然である。国民皆保険・皆年金がなぜ日本社会で世界に先がけて成立したのか。それにはこうした社会の特色が反映されていると考えるのが素直である。

 日本型福祉社会構想とは、誤解を恐れずに言えば、互助・共助優先の社会である。そこでは血縁、地縁、社縁、同業の縁が重要なのであり、そうした縁を大切にすることが、社会構成員の最低ルールである。

 具体的には、まず家族を持つ(そうしなければ血縁が生まれない)、祭りその他の地域行事を支える(地縁は日頃の人間関係によって維持される)、勤め先をみだりに変えない(終身雇用制度に親和的であること)、仕事仲間との付き合いを大事にする(中小企業を維持するうえでも重要)ことである。

 政策として重要なのは、上記のような行動を評価し、そぐわない行動結果に対する福祉施策の適用を厳しく査定することである。

顧問 喜多村悦史

2021年01月06日