怒苦打身日記 ~協会顧問 喜多村悦史のブログ~

怒苦打身日記189 「慰安婦=性奴隷」説否定

だれもが「そうだろうな」と思っていたことを正面から論じる研究論文が学術誌に掲載される。ハーバード大学J・マーク・ラムザイヤー教授の「太平洋戦争における性サービスの契約」でInternational Review of LawEconomics 65巻が掲載予定誌。青山学院大学の福井義高教授による解説・要約が産経新聞131日に載っている。この問題に関心がある者は読んでみるべきだろう。

 要点は「朝鮮人慰安婦も日本人慰安婦も公認の売春婦であり、日本軍に拉致され、売春を強いられた「性奴隷」ではなく、慰安婦をめぐる問題点は、朝鮮における募集業者にあった」ということである。

 当時の軍部の関心は「兵士が現地で性病に感染し、病気が蔓延することを防止すること」。売春は政府許可制の合法事業であったから海外軍事拠点近くにも売春宿業者が寄ってくる。軍は売春婦の定期的な検診をするなどの条件を守る業者以外への兵士の登楼を禁止した。これが軍の関与のすべて。

 接客婦の性病検査の徹底はボクにも多少の経験がある。昭和50年代初頭保健所研修生であったとき特殊浴場事業者に許可の暗黙の条件として守らせていた。性病予防法を所管する保健所としては売春が疑われる特殊浴場の営業許可を出したくないが、それが許されない政治的現実から、事業所での性病感染を防止するために検査を受けさせるのが次善の策だったのだ。

管内で性病多発発生は保健所として非常にまずい。よって従業員ごとに検査実績がわかる台帳を整備していたのは半ば公然であった。

 

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 さて本題の戦前・戦中の売春婦の労働条件であるが、当時としては破格であった。女子工員の年間賃金が312円の1925年当時、売春婦の手取りは655円。そのうち393円を前借金の返済に充て、手元に262円残った。部屋代や食事代は売春などが負担するから、生活の経済面では工員として働くよりよかった。

 問題は彼女らが抱える前受け金で1000円から1200円で無利子が相場。当時の日本社会で売春禁止論があったが、それは娘の前受け金を自分のものにする親への批判であった。ともあれ彼女らは年間400円ずつ返したから、標準的に3年未満で返済して自由の身になり、堅気となって廃業した。返済できなくても6年の年季明けで解放されるが、そこまで長期に売春を続ける者は少なかった。

 これが売春業の平均像だが、売春批判派に配慮する軍は、「純朴な若い女性が働かされている」イメージはまずいから、兵士の利用を認める事業者には「すでに売春婦として働いている女性のみを雇う」よう働きかけていた。

さらに戦争が激しくなると、女性が工場等に動員されるようになり、売春婦のなり手が減り、処遇は改善されたから、前借金の返済期間は12年に短縮されていった。こうしたことから売春をめぐって軍を非難する声はほとんどなかった。

 問題は朝鮮内部にあった。当時の朝鮮では、内地と違って、欺瞞的行為で女性を欺く悪質な労働者募集事業者が跋扈していたことである。新聞には海外に売り飛ばすなどの不正を暴く記事が載っているが、これは男子の工員についても同様だったようで、当時の朝鮮半島でのモラルだった。

「日本の本国政府や朝鮮総督府が女性に売春を強制したのではないし、日本軍が不正な募集事業者に協力したのでもない。業者がもっぱら慰安婦募集を行っていたのですらない。問題は、数十年にわたり女性を売春婦宿ではたらくようたぶらかせてきた朝鮮内の募集業者にあった」が論文の結論である。

 韓国内で日本政府の責任を問う声があるが、それらはすべて事実誤認あるいは意図的な策略である。現代法では違法である人身売買的な悪徳行為をしていた朝鮮における悪徳業者は責任を問わないのが彼らの申し合わせ事項だ。これこそ不正義ではないのか。

そして国内でこれに加担する大嘘の声明(1993年)を出した河野洋平元官房長官を国会で喚問するのが、国会の最低限の責務だろう。父親の汚名を晴らすためにも、息子の河野太郎衆院議員には率先行動を求める。

また与党がかばうなら、それこそ野党の絶好の出番であろう。立憲民主党の枝野党首、舌鋒鋭い追及で名を馳せている蓮舫、辻元清美議員などはなぜ声を挙げないのか。政党支持率アップは確実のはずなのに。

顧問 喜多村悦史

2021年02月03日