怒苦打身日記 ~協会顧問 喜多村悦史のブログ~

怒苦打身日記197 建国記念の日

昨日(211日)は「建国記念の日」で祝日=休日だった。コロナで巣籠状態が続いている。打ち合わせメールなどが入ってこないので、会社に電話したらだれも出ない。アレっと思ってカレンダーを見て納得した人がいただろう。

 暇に任せてネットで調べると、「建国記念日」ではなくて、「建国記念の日」と、間に「の」が入る。なぜかというと、1966(昭和41)年に、「建国をしのび、国を愛する心を養う」ことの重要性から祝日を設けることにしたが、その日をいつにするかで諸論があったため。

初代の神武天皇が即位されたのは紀元前660年の正月元旦とされるが、その日を新暦に換算すると211日なる。明治維新政府はこの日を紀元節という祝日とした(明治6)。これを引き継ぐ説が有力だったが、異論にも配慮し、祝日法では特定日とせず、当面政令に委ねることにした。つまり内閣の意志で日を自在に設定できる。これは他の15の祝日にはない特色。

日本の祝日は年間16日もあり、世界で突出して多い。祝日法制定時(昭和23年)には9だったが、なんだかんだと理由をつけて膨れ上がっている。有給休暇の充実などもあり、休日とする祝日は整理半減をした方がいいのではないか。

 

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その際、建国記念の日をどうするか。日本の国旗、日の丸は日の昇る国を現わす。初日の出を描いているとも言える。であれば祝日の一つである元旦(11日)を、ずばり「建国記念日」あるいは「日本の日」に名称替えしてはどうか。

子ども時代の記憶によると昭和40年頃だったと思う。町内会で国旗を掲げようという運動が起こり、各家で国旗を買い、竹竿に差して玄関前に掲げるようになった。田舎の家々では、今も祝日を旗日といって、国旗が立っているはずだ。

高校生の頃には、卒業式の学校での国旗や国歌に抗議するとして、総代が卒業証書を校長先生の目の前で破り捨てる行為がもてはやされる風潮があった。あれはいったい何だったのだろう。だれが仕掛け、後ろで糸を操っていたのか。

顧問 喜多村悦史

2021年02月12日