怒苦打身日記 ~協会顧問 喜多村悦史のブログ~

怒苦打身日記204 政治体制の価値

東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が発言の不適切を問われて辞任に追い込まれた。発言内容は褒められたものではないが、人格攻撃はいかがなものか。森さんは20141月から7年間会長職にあった。その間、森さんが繰り返していた軽口が、ある瞬間を境に批判一色になる。音頭を取っているものの正体は見えないが、北朝鮮のマスゲームと変わらない不気味さである。

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 後任に橋本聖子五輪担当大臣が選任された。スピードスケートでオリンピック入賞経験もあり、国際的発信力があるとされる。引き受けたからには、ぜひ東京オリ・パラ大会を、日本が“主体性を示す形での開催”に導いてほしい。その方策は194回(29日)で提案している。IOCなどに対して受け身だけでは、直前になって開催返上に追い込まれかねないのだから。

その半年後には北京で冬季オリ・パラ大会が予定されている。中国共産党の目論見は、コロナを理由に東京大会を中止に追い込み、それとの対比で次の北京冬季大会を飾り立てること。つまり「民主主義はコロナに無力、専制体制の優位を証明した」とのプロパガンダの手段に位置付けている。その謀略を弾き飛ばしてもらいたいと世界中の自由主義者が期待している。

 しかるに国内でのコロナ対策は相変わらず、感染をセロにすることが目標とされている。インフルエンザでも、結核でも、感染者ゼロ、完全撲滅が目標とされることはない。ゴキブリも、やぶ蚊も、室内のダニもカビも、完全駆除されれば生活は快適だが、不可能なことを体感で知っている。武漢ウイルスやその変異体でも同じであろう。

 専制独裁中国では武漢ウイルスでの感染はほぼゼロになったとされている。そのために取られた方策は、人口1千万人以上の武漢市を76日間完全封鎖し、外出を極限まで制限し、企業活動をストップした。市民全員にPCR検査を行い、プレハブ病院に陽性者を問答無用で隔離した。それでも完全撲滅ではない。

 日本国内では感染者はすでに全国に広がっている。この状況で全国民の外出を抑制し、国中の経済活動をストップすればどうなるか。週刊新潮(218日号)で食の安全・安心財団の唐木英明理事長は「34か月完全封鎖すれば感染者ゼロは可能かも」とおっしゃっているが、その真意は「民主主義社会でそんなことすべきではない」ということだ。3か月以上も経済が止まれば、コロナウイルスより前に、国民が飢えてしまう。「1億人を殺してもまだその10倍の人口がいるぞ」と恫喝したのは毛沢東だが、それが専制国家の本質なのだ。コロナゼロを唱える政治家の中には、そうした強権発動をしたい願望の者が紛れ込んででもいるのだろうか。

 

2月9日の朝日新聞デジタル記事は、「人口135千万人のインドで、少なくとも5人に1人がすでに新型コロナウイルスに感染している可能性があることが、政府機関の調査でわかった。サンプル調査に基づく推計で約3億人が感染した計算になる」と報じている。首都ニューデリーでは「人口約2千万人のうち、56%がこれまでにコロナに感染し、抗体を持っている可能性もある」とも。インド医学研究評議会では「新型コロナの集団免疫を獲得するには、少なくとも人口の6070%が免疫を持つ必要があるが、いくつかの都市ではすでに集団免疫を獲得している可能性があると指摘している」とのことだ。記事は続けて「インドの1日の新規感染者数は11千人ほどで、ピークだった昨年9月の10万人弱に比べれば、減少傾向にある。首都ではマスクをしなければ2千ルピー(約2900円)の罰金がとられることから、多くの人がマスクをしているが、郊外に出るとマスク姿はほぼ見られない」と結ぶ。

罰金で脅さなくてもだれもが自発的にマスク姿の国内。自発的行動が重要なのだ。コロナ騒動で民主主義、自由主義の基本をないがしろになれば、それこそ中国共産党が描くシナリオにはまることになる。

顧問 喜多村悦史

2021年02月19日