怒苦打身日記 ~協会顧問 喜多村悦史のブログ~

怒苦打身日記213 亀戸香取神宮

今日は亀戸天神からさらに足を伸ばし、亀戸香取神宮に行った。境内は小さいが、大通り(蔵前橋通り)からの参道は立派。料理屋や土産物屋が軒を連ねる。

 香取神宮では千葉県佐原市が有名。新婚間もない頃、同神社などがある潮来地域への週末一泊旅行を計画したことがあるが、急な仕事の呼び出しで頓挫した。そんなことを思い出しながらの亀戸香取神宮参拝。

 神社の由来は、俵藤太(藤原秀郷)が朝命により、承平・天慶の乱の首魁の一人である平将門に対する戦勝祈願に矢を奉納した史実(940年)に基づくとされている。

 それだけなら「ふーん」で終わるところだが、境内表示では「スポーツの神様」が強調されていた。本殿には写真のように、競泳の池江璃花子選手の病気平癒を祈る大看板。ご案内のように、オリンピック金メダルが大きく期待されていた池江選手は2年前の20192月に、身体のだるさを感じるようになり、診断の結果、白血病が判明し、長期治療生活に入った。当人の不屈の闘病の結果、同年末には退院でき、徐々に競技生活への復帰を進めてきている。そしてオリンピック出場資格標準タイムを突破するところまで回復。今夏のオリンピックに間に合いそうとされている。

苦難に打ち勝っての復活。国民好みの明るい話題だ。そうなると何がなんでもオリンピックを開催しなければならない。政治的思惑から、東京オリパラ大会を返上に追い込もうとする国やこれに無思慮に呼応する国内勢力もあるだろうが、こういうときこそ国民の健全な団結力を示す好機。「オリンピックは国威発揚の政治ゲームの場所ではない。ルールに乗っ取って正々堂々日頃の肉体鍛錬を示す平和の祭典」という原点を、政府・国民が一体になって対外発信し、賛同するアスリートに参加してもらえばよい。コロナという特殊事情なのだから。

ボイコットする国があってもいいではないか。記録が低調でもいいではないか。

「勝つことよりも参加することに意義がある」とクーベルタン男爵は言い残している。コロナ騒動の帰趨に関わらず、東京大会を開催する。検討すべきは「大会の運営方法」であって、「大会の是非」ではない。従来と形態は変わろうが、開催の連続に意味があるのだ。確信をもってそう言い続けることだ。

ところで亀戸香取神宮はどうしてスポーツの神様なのか。

 宮司のインタビューを見つけた。

必勝祈願!「スポーツの神様」亀戸香取神社の参拝が楽しくなる、宮司さんインタビュー|亀戸プロ (kameido.pro)

 昭和50年頃のこと…。自らも長距離ランナーだった宮司さんが、テレビで社会人の駅伝を見ていたら、3人が先頭争いをしている。「気持ちで負けたら置いていかれちゃうな」。ここでどう頑張るかは、「相手との戦い」「自分との戦い」。ここで閃いたという。「そうだ、スポーツも戦いである」。

「これからの日本は戦争はしない。戦いは戦いでも、こういったスポーツの戦いとして『スポーツの神様』っていうのはどうでしょう」と提案したら、先代宮司が賛同した。これが発端。世に浸透して、今のようになったと言う。

 科学的ではないなどのつまらない批判などの野暮はよそう。

お賽銭箱に持ち合わせの硬貨を投じて、東京オリパラ大会開催の意義が全世界の善男善女に届くよう祈願した。

顧問 喜多村悦史

2021年03月02日