怒苦打身日記 ~協会顧問 喜多村悦史のブログ~

怒苦打身日記224 電力不足への準備

年初の寒波で電力の供給力に対する需要割合を示す使用率が全国規模で100%に迫り、電力広域的運営推進機関は1月6日に「非常災害対応本部」を立ち上げ、電力会社らにフル発電を指示するなど大わらわの対応に追われた。だが「のど元過ぎれば…」で、記憶はすでに忘れ去られようとしている。


もし発電量が需要に追いついていなかったら? 各地で大停電(ブラックアウト)が起き、生活も産業も交通もマヒしたことは間違いない。実際に起きなければ対策を考えないという国民性、政治性はどうにかならないものか。
電力ひっ迫の原因ははっきりしている。原子力発電を止めているからだ。10年前の東日本大震災で福島第一発電所が津波で破壊したことに端を発して、容易には達成できない非現実的な厳格基準が作られ、自治体や住民が全面賛成しない限りは運転再開させないことが〝国策“とみなされているからにほかならない。


では原子力発電なしで、国内の電力需要を賄えるのか。太陽光、風力などの代替発電を進めればよいとされるが、経済性の面一つとっても原発の穴を埋めるだけの安定供給力はない。20年、30年先はいざ知らず、それまでの間、電力消費量を抑制せよと言うのでは、凍死、餓死で区民生活はガタガタになってしまうだろう。
ボクは県庁勤務の一時期、原子力発電所新設に、慎重論(自然保護)の立場で関わった。環境破壊に加え、人為的事故の可能性はゼロではないし、洋上からのテロを予測した対応も必要だ。原子力発電なしで電力を賄えるのであれば、望ましい選択肢だろう。ではその選択肢は何か、代案はあるのか。代案なしで反対するのは無責任。その自問を繰り返していた。

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今問われているのは、その代案だろう。「原子力発電全廃」を叫ぶのは気持ちいいだろう。ではそういう人たちはどういう電力供給代案を提示するのか。それとも電力不足が予測された時期には、電力使用抑制を強制するのか。
「電力増強しなくても耐乏生活をすればいいではないか」と経済成長を否定するのであれば論旨は通る。だがオール電化生活や電動自動車の普及要求と、電力供給非増強は矛盾する。では世界的に原子力発電は廃止の方向なのか。統計データによると、日本で落ち込んだのが例外で、世界の趨勢は急増している。中国や韓国では、日本の自主規制を好機として、原子力発電技術を経済戦略として世界中に売り込んでいる。国内での増設は当然である。


 事故への反省は必須事項。点検、検証の結果の先の行動が重要だ。安全性を格段に高めた新技術を披露し、世界に売り込むことをなぜ考えないのだろう。どう改善しても原子力発電には根幹的欠陥があるとするなら、この際、原子力発電とは縁を切るのが結論になるが、その場合は世界中の原子力発電を止めなければ首尾一貫しない。「災いを転じて福となす」のか、「羹に懲りて膾を吹く」か。総合的に考えればどちらを採るべきか。考えるまでもないだろうと思う。
  蛇足ながら、脱原発先進地域と国内で紹介されている欧米だが、実態はそうではないようだ。1980年代に国民投票で「脱原発」を決めたスウェーデンでは世論が変わって2019年には原発四次が78%に達している。イギリスでは耐用年数到来の原子力発電所の代替新設を進めている。国土の4分の1が海面下のオランダでも原子力発電所は稼働している。過去にスリーマイル島事故を起こしたアメリカでも原子力発電を評価している。

                                          顧問 喜多村悦史

2021年03月11日