怒苦打身日記 ~協会顧問 喜多村悦史のブログ~

怒苦打身日記225   東京空襲資料館

散歩の途中、東京大空襲・戦災資料センターに寄った。徒歩圏内に所在していたのに、これまで全く知らなかった。

わが江東区はゼロメートル地帯。堤防が切れ、閘門が壊れれば、民家は間違いなく水の下になる。地盤はよくないから直下型地震の被害は関東大震災で実証済み。それに加えての戦災の歴史もある。先の戦争中に東京は100回以上の空襲を受けたが、最大被害は1945年(昭和20年)310日の未明、B29大型爆撃機約300機による江東区(当時は深川区)を中心とする下町への焦土化攻撃。死者10万人を超え、罹災者は100万人にのぼった。

この災難を記録する公的資料館はないのだそうだ。1970年頃から東京都が「平和祈念館」を建設する企画があったが、1999年に凍結になっている。そこで記念館に納める物品を収集してきた民間の「東京空襲を記録する会」が、募金を集め、土地の無償寄贈を受け、2002年に開館にこぎつけた。

館内は撮影禁止なので、玄関前の写真。紅蓮の炎の中、わが子を守ろうと抱きしめる母親像。こういう姿での遺体もあったに違いない。事実の裏付けがあるからモニュメントとして迫力がある。

展示室には焼け焦げた遺体の山など眼をそむけたくなる写真が多数並んでいる。

生存者の体験談も多数掲示されているが、その一つには「親の指示で近所の小学校(当時は国民学校)の校舎に向かったが、入る寸前に建物に火がついて崩れ落ちた。中に避難していた人は焼け死んだのではないか」とある。学校名を見ると娘たちが通った母校だった。家内の母校(広島)の先輩たちは原爆で死んだが、娘の先輩たちは空襲で死んだ。

使われたのは焼夷弾。事前にアメリカ軍は入念に効果測定をしていた。ユタ州の演習場内に東京の木造家屋の街並みを正確に模造したうえで、新開発した焼夷弾のナパーム剤を炎上させた。同時にスパイ情報で把握した東京の防火消防体制を再現し、消火活動に当たらせて比較実験した。そして延焼能力が消化能力をはるかに凌駕することを確認している。つまり爆撃地帯を焼き尽くし、住民の無差別殺戮になることを想定しての使用だったのだ。

原子爆弾投下と同じ構図である。非戦闘員の市民殺戮を企図した軍事作戦。アメリカは毒ガスなどの化学兵器や炭疽菌などの生物兵器の使用も大統領を含めて検討していた。戦争は人間の神経をマヒさせ、普段では思いつかない残虐行為に手を染めさせる。政治決定が民主的に行われるアメリカにしてこうなのだ。独裁者の権力維持したい意向でいかような政治決断も下される専制国家ではどういうことになるか。

人間として超えてはならない一線があるはず。それを犯した者にはその罪を負わさなければならない。FD・ルーズヴェルト大統領の戦争責任を問う声がアメリカ国内でも起きている。曰く、日本を戦争に追い込むことでヨーロッパの戦争に世界を巻き込み、結果としてスターリンの共産主義専制を世界の半分に広げ、中国や東欧での人権抑圧や虐殺を引き起こした。

館長の案内音声では、「空襲被害の人たちに国家の支援がないのはなぜか」と問題提起していた。だれもが戦争被害を受けている。裁判もしたけれど負けてしまったとも言っていたが、現実的な政治判断としては、完全賠償はできないだろう。だけど本来はどうあるべきかを考える意義はあると思う。

国民の生命、財産を第一に考える責務を負う民主主義国の政治指導者は、そうした配慮が不要な専制国家の支配者に対してハンディを抱えている。軍事力をちらつかせての脅し合いでは、民主主義側は押されっぱなしになるだろう。それでは世界の平和と安定を保てない。

わが日本国憲法はこれに対する答えを用意している。憲法の心髄部分、すなわち前文をじっくり読んでみよう。民主主義は人類普遍の原理であるから、「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しよう」と書いてある。専制主義の国家運営を認めない。つまりそういう政治体制の存在を認めない。日本国憲法は、世界中が民主主義国であるべきとしているのである。日本国憲法は空理空論ではない。欠けているのは、憲法を活かすための、日本という国としての行動である。

顧問 喜多村悦史

2021年03月12日