怒苦打身日記 ~協会顧問 喜多村悦史のブログ~

怒苦打身日記233 一年前の春分時期

1年前のこの時期。三連休での人出をいかに抑制するかで、政府関係者などはやきもきしていた。

小池都知事が「事態の推移によりましては、都市の封鎖、いわゆるロックダウンなど、強力な措置をとらざるを得なくなる状況が出てくる可能性があります」と発言し、世の中騒然となった。聞いた人は“戒厳令”を想定したが、平和ボケの日本では、その法的根拠も、気持ちの準備もなかった。「憲法に緊急事態法制の根拠がないのだから検討自体が違憲といった」といった声もあったくらいなのだから。

このころを境に、コロナは「戦後最大の国難」というムードが形成されていくことになる。翌3月24日、安倍首相(当時)はIOCのバッハ会長と電話会議。コロナ感染症流行を理由としたIOCによる東京オリパラ大会の1年程度の延期を受け入れた。

その後は周知のとおり。4月7日の緊急事態宣言。空前絶後の巨額赤字国債による補正予算(1次・2次合計で57兆円)がセットされ、各省庁の競争による手あたり次第のバラマキが始まった。

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それから1年。事態はどう収拾されたのか。国民は夢遊病者のようにさまよい、気が付けば、残ったのは回復不能な財政赤字と、政府からの給付金への依存を当然とする国民気質の劣化ではなかったか。

海外に目を転ずれば、ハードなロックダウンでコロナを抑え込んだとの専制体制の優位性が幅を利かせ、経済、軍事両面で、民主主義体制は圧迫されている。この次に来るのは「バスに乗り遅れるな」と、雪崩を打って専制体制への移行が進むことではないか。100年近く前へのタイムスリップを見るようだ。

明日3月21日で東京の緊急事態宣言は解除になる。その先はどうなっていくのか。「ゼロコロナ」といった勇ましい掛け声に踊らされて、国の基盤と連帯精神が損なわれていないか。

顧問 喜多村悦史

 

 

2021年03月26日