怒苦打身日記 ~協会顧問 喜多村悦史のブログ~

怒苦打身日記237 尊厳死=普通死なのに

以前に同名の映画について書いた(第215回)。今回は原作の本について。作者の長尾和宏先生は日本尊厳死協会の副理事長でもあるという。ここで尊厳死とは何かについて、長尾先生の本をもとに解説してみよう。

尊厳死と対比されるのが安楽死。『広辞苑』では、二つを対立する形で次のように説明する。「安楽死」が、助かる見込みのある病人を、本人の希望に従って苦痛の少ない方法で人為的に死なせることであるのに対し、「尊厳死」は、一個の人格としての尊厳を保って死を迎える。あるいは迎えさせること。近代医学の延命技術などが、死に臨む人の人間性を無視しがちであることへの反省として認識されるようになった。

長尾先生はこの解説には不満のようで、『新明解国語辞典』を推奨する。「安楽死」とは、植物状態になる以前の患者の意思により患者の生命装置をはずしたり激しい痛みに苦しむ患者に劇薬を投与したりすることによって患者が死ぬこと。普通前者を「尊厳死」、後者を協議の安楽死として区別するが、後者は未だ必ずしも合法とは認められていない。「尊厳死」は、人間として自分の意志で死を迎えること。現在の医療技術では回復が不可能で死を迎えるしかないがんの末期などの場合、延命のための治療行為を断り、自らの意志で死を迎えようとする考え。リビングウイル。

長尾先生の定義では以下になる。「安楽死」とは、人生の最終章に近づいた時に、本人が望んだ場合、医師が処方した薬物によって、意図的に指揮を早めること。そして「尊厳死」とは、不治かつ末期の症状において、本人が望んだ場合、不要な延命治療をせずに、自然な最後を迎えること。

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この二つの法的な意味合いはどこが違うか。日本ではどちらも「自殺ほう助罪」として医師は逮捕・起訴のリスクを負うことになる。そこで「尊厳死」についてだけは合法性を認めるべきではないか(ある意識調査では国民の8割が賛成している)と法的措置とが議論されているが、いまだに結論が出ない。ところが欧米では、上記の意味での「尊厳死」は平穏死=自然死の範疇に入るものと理解されており、当たり前にみられることであるから、該当する言葉すら存在しない。よって議論はもっぱら「安楽死」であり、これを合法化する国とそうでない国に分かれる。

長尾先生の個人的意見は、「尊厳死」がしっかり合法化され、実施されるようになれば、痛みや辛さを緩和できるので、「安楽死」を合法化する必要はないだろうというものである。「リビングウイルの法的担保すらできない不思議の国、日本」と怒りを述べている。

ということで「尊厳死」=「平穏死」というのが長尾先生の立場。末尾で平穏死10の条件を掲げていらっしゃるが、一つだけ紹介するならば第5の条件である「年金が多い人こそ、リビングウイルを」を挙げたい。延命治療の患者のなかには、その患者の年金を生計手段としている家族が群がっている場合が少なくない。こうした家族にとっては老親の延命が最優先であり、当人の尊厳、痛み、辛さは置き去りにされてしまう。不都合ではあるが、当人が認知症などになれば尊厳死の意思表示はできない。よって「年金が多い人こそ、元気なうちにリビングウイルを文書で表明しておくべき」とする。

この点はまったく同意。年金は当人の生計費なのであり、家族のための私的使用は横領である。認知症を含む重度要介護になれば介護保険が給付される。それとの関連で年金給付は半減するのが妥当なのではないかと思う。

顧問 喜多村悦史

2021年03月26日