怒苦打身日記 ~協会顧問 喜多村悦史のブログ~

怒苦打身日記249 チベット―ワイルドウエスト

『辺境中国』(デイヴィッド・アイマー著)の第2部は「チベット―ワイルドウエスト」。政治面と宗教面での記述に着目しよう。

 チベットを異族民がほぼ初めて支配したのは満州族の清帝国だが、その崩壊後チベットは事実上独立国を回復している(正式な承認国はなかったようだが)。そのときの領域は、「北東は青海と甘粛、東は四川、南東は雲南といった隣接する省に食い込んで」現在のチベット自治区の2倍近かった。チベット族は、現在、その境界領域に300万人で、チベット自治区本体の270万人より多い。ほかには14世ダライ・ラマのインド・ネパールでの亡命政府下の15万人。

 中国共産党軍が1951年に軍事占領して独立チベットは消滅し、現在に至る。中国の膨張侵略の経緯は他の辺境地域と同じ。チベットの最高権威はダライ・ラマで民族の精神的支柱で、次位がパンチェン・ラマ。「ほとんどのチベット人は現在のパンチェン・ラマを認めようとしない。ダライ・ラマがパンチェン・ラマの次代の転生者として選んだ6歳の少年を共産党が却下し、その後、新たに選定した人物だからだ。少年は19955月にダライ・ラマから指名された3日後、中国当局に連れ去られ、以来その姿を見た者はいない」。

 共産党のチベット支配の一例として、「1989年のラサでの抵抗運動に暴力で応じるように命じたのは胡錦涛であり、それを受けて武警がデモ隊に発砲した。この決断によって強硬派として共産党の長老たから太鼓判を押され、国家主席への道筋がつけられた」。チベット人は心服しておらず、著者の滞在中にも、中国や漢人の所業への反感から「東チベットでは焼身自殺が相次いでいた」。

 

チベット写真素材、ロイヤリティフリーチベット画像|Depositphotos®

 

 チベットへの陸路は四川省の成都からだが、その境界が外国人には閉鎖され、著者の訪問時には、「チベット内の西洋人の旅は飛行機か列車でラサに到着する団体旅行にほぼ限られ、しかも何枚もの許可証を事前に手配しておかなければならない」が、チベット人が「受けている制限に比べれば微々たるものだった」。

 中国共産党の歴史改竄(かいざん)の一例を著者は次のように紹介する。「7世紀半ば、チベットは空前絶後の権勢をほしいままにしていた。…チベット王は北京(唐朝)の皇帝、太宗に妃をめとりたいと要求することができた。太宗は姪の文成公主を送った。漢族の歴史家はこの結婚を中国の長きにわたるチベット統治の証拠の一つだと主張する」。主客転倒だが、これが中国の歴史学であると著者は憤慨する。

 著者は首都ラサを離れ、案内人のチベット人と陸路、西方に旅するが、至る所で武装警察の検問を受ける。チベットでの取材は、「共産党の宣伝部が運営するツアーしかない」ので、著者は本来の記者用ビザではなく、別に用意していた観光ビザでのパスポートを提示した。

 宗教に関しては、「豊かさが増したのに伴い、今では宗教への関心も、公式にしろ非公式にしろ、次第に復活しつつある。正確な統計値は入手不能だが、おそらく中国のキリスト教徒は共産党員よりも多い。さらに、2000万人から2500万人はイスラム教徒だ。だが、やはりもっとも人気があるのは仏教で、約4億人の中国人が信徒であるという」。

 著者は難行苦行しながら、インド、ネパールの国境に近い道を西に進んでいく。途上で終活活動家の関心を引きそうな記述がある。案内人が「からみあう一連の祈りの旗で飾りつけられた岩棚を指さした―鳥葬場だ。仏教徒にとって、肉体は命が尽きたら空っぽの器、無用で意味のないものとなる。地面がたいてい岩のように固いチベットでは、鳥葬はその器を処分するのに効果的な手段だ。死体は山腹の指定の場所に運ばれ、速やかに細かく切り刻まれると、やがてハゲワシが舞い降りて残骸を奪い去る」。

 著者の目的地はチベット最西端に近いカイラス山。ヒンドゥー教、ジャイナ教、仏教、ボン教の聖地でインドなどからの巡礼者が続々とやってくる。「この地域は外国人が多く、漢族がいないとあって、山はまるで独立した小国、北京の政府が領有権を主張する場所にたまたまある国といった風情だった。それで連想したのはバチカン市国、ローマの中心にありながら、イタリアからは独立した国家である」と著者。北京政府に見習う度量があれば、印象も多少はよくなろうが、実際は違う。インドやブータンなどの領土侵奪がまずます悪辣になっている。

 インドなどとの対立には水資源も関係する。カイラス山近辺の「どうということもない細流がアジアの主要河川の水源だ。…カイラスから流れるこうした河川を水力発電に利用することが、北京の長年にわたる夢だ。流れの進路を変えて中国内地の次第に干上がっていく土地を灌漑することもしかり。…下流に当たるインドとバングラデシュの住民への影響をめぐり、ニューデリーから猛烈な猛反対」に遭っている。

 ただし国家間の争いでは、理念よりもエゴ、調和よりも腕力が優先する。ごまめの歯ぎしりに終わらないようにするには何が必要か。

顧問 喜多村悦史

2021年04月05日