怒苦打身日記 ~協会顧問 喜多村悦史のブログ~

怒苦打身日記250 雲南―楽園のトラブル

『辺境中国』(デイヴィッド・アイマー著)の第3部は「雲南―楽園のトラブル」。雲南省は四川省の南。著者の実地踏査は、雲南のうちでも南端のラオス、ミャンマー、そしてメコン川を少し下ればタイに至るシーサンパンナ・ダイ属州から始まる。

「1949年に共産主義者が権力を握るまで、漢族が雲南の国境地方について知っていたのは、彼らが蛮族と呼ぶ数多くの民族が暮らしているということぐらいだった。…中国公認の少数民族の半数近くは雲南が本拠のため、ここは中国でもっとも民族が多様な地域となっている」。しかしこれら民族は、国境を越えた東南アジア諸国にも住んでおり、「漢族やそばに暮す別の民族グループよりも国境を隔てた同族に対して強い親近感を抱く。…国籍など民族性に比べればまるで取るに足らず、正式には中国国民であるにしても、その事実はほとんど意味をなさない」。

「国境の大部分は閉ざされていないし、細い川で区切られるか熱帯雨林を突っ切るかしているため、…場所によっては、自分でも気づかないうちに国境を越えていることもある。彼らは何世紀にもわたって国境を平然と無視し、思うままに国と国を行き来してきた」。

 著者はメコン川の水運を利用して、少数民族の一つダイ族が1953年まで保持していたかつての大ダイ国の踏査を計画する。「それは黄金の三角地帯の中心を通る旅になる。そこは世界有数の無法地帯、今なお国家という概念に抵抗する東南アジアの少数民族にとって、最後の大きな集合場所だ。厳密には、黄金の三角地帯とは、ラオス、ミャンマー、タイの国境が接するメコン上の合流点を指す。現実には、もっとずっと広い先まで広がっている。その黄金の三角地帯の奥深くに達する大ダイ国は、今も昔も、中国の支配を拒絶した人たちの避難所だ」。

 

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「中国で語られる国境地方の歴史のご多分に漏れず、北京には帝国の辺境を支配する明白な権利があると証明する目的から、公式の説明では中国人が太古の昔から雲南にいたことが強調される。彼らによれば、それは期限前2世紀、漢王朝にまでさかのぼるらしい。だが当時、漢族の居住地は現在の昆明周辺に限られ、ほかの地域は雲南のさまざまな少数民族が治める小国家に分かれていた」。

彼らはミャンマー側から見ても少数民族であり、雲南省に接するシャン州、カチン州は半独立状態で、ミャンマー政府軍と戦っている。ビルマ共産党が両州の抵抗運動を指導していた1960年代から70年代にかけて、中国共産党が支援し、武器と現金が提供されている。

著者が次に向かったのは雲南省の西端でミャンマーと接する徳宏ダイ族チンポー族自治州の瑞麗という町。「中国全土にこの国有数の犯罪の中心地として悪名をはせる国境都市だった」。ミャンマーのムセという隣接都市とは金属フェンスで区切られるだけで、「公式の検問所から200メートル、錆びた柵が何カ所かこじ開けられていて、四六時中、ひっきりなしに人がそこを抜けていく。日中にムセから瑞麗に渡るのは、建設作業員や家庭の使用人として働く出稼ぎ労働者だ。日が暮れると売春婦たちがやってきて、かたや中国のギャンブラーたちはミャンマーに向かい、すぐそばの町マイジャヤンのカジノをめざす。あらゆる種類の密輸品が毎夜このフェンス越しに瑞麗側から運ばれる。ニワトリ、豚、コメ、電話機、コンピュータ、小型の機械類もだ。低開発で、資金の乏しいミャンマーには見返りに差しだせるものがあまりない。だが、引く手あまたの次の三つなら大量にある。ドラッグ、翡翠(ひすい)、そして増加する一方の、妻を求める漢族の独身男性のための女性たちだ。…毎年何千人のビルマ人女性が中国で売買されるのか、正確なところを知る者はない。はっきりしているのはその数が上昇していることだ」。

犯罪都市の汚名を返上させる妙案はあるか。この地域が中国、ミャンマー、タイ、ラオスいずれにおいても、またがって居住している少数民族が各中央政府の支配下にあることを受け入れていない。そして各国は力でねじ伏せようとして、警察力さらには軍事力も動員し、虐殺事件を起こしている。さらに業を煮やして民族固有の文化、宗教さらに言語を抹殺しようとする。

そんなことをしないで民族自決で新たな独立国を認めればいいのではないか。関係国が面子を捨て、人権に向き合い、譲り合えば、国境紛争を繰り返す必要もなくなる。密輸も自然解消だ。この場合、大国を自認する中国が率先垂範するのが筋道というものだろう。中国共産党の体質から見て、現実性は限りなく低いが、国際社会が圧力をかけ続けるしかないだろう。国際政治での正義とは、総合的な力関係で屈服させることなのだ。

顧問 喜多村悦史

2021年04月06日