怒苦打身日記 ~協会顧問 喜多村悦史のブログ~

怒苦打身日記277 74回目の憲法記念日

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今日は日本国憲法が194753日に施行されてから74周年の記念日。国民の祝日になるくらいだから、憲法は国家、国民にとって重要なものということだ。その割には、今の時代にふさわしい憲法条項はいかにあるべきかの議論が盛り上がらない。

「憲法改正を許さない」という政治勢力があるが、その人たちは憲法精神をないがしろにする者である。どういうことか。

 憲法96条に改正の手続きが明記されている。にもかかわらず「改正させない」というのは憲法規定に抵触する。99条では「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」としている。「憲法改正は所定の手続きを経て行うべきだ」との主張は正しい。しかし「自分たちを除く全国民が改正を唱えても、一言一句変えさせない」というのは、99条に反している。そうした議員、公務員は罷免され、訴追されなければならない。

 そもそも憲法改正はいかなることがあっても許されないというのであれば、日本国憲法は存在していない。なぜなら日本国憲法は、明治憲法の改正として成立しているのだ。ウソだと思う人は天皇陛下の公布文(昭和21113日)を読めばよい。「朕は、日本国民の総意に基づいて、新日本建設の礎が、定まるに至ったことを、深くよろこび、枢密顧問の諮問及び帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。」

 戦前と戦後の日本の政体が継続しているのか、分断しているのか。さまざま意見があろうが、憲法については形式的に一体性を保っているのだ。それが改正という手続きに表れている。改正がそもそも許されないのであれば、憲法の廃止と新憲法の制定をしなければならないことになる。戦後に日本国憲法を起草し、審議した人たちはそういうふうには考えなかった。日本国と日本国民そのものは永久に持続させなければならない。よって必要があれば、憲法を廃止するのではなく、所要の修正、改正をしていくべきと考えたのだ。

 さてここからが本題。現行憲法のどこを改正するか。以下はボクの意見である。異論、反論は当然あろう。国家、国民の基礎となる憲法であるから、百人百様の考え方があるのが自然であり、健全な姿である。その百家争鳴をいかにして、一つの考えに収斂(しゅうれん)させていくかが、国会議員、就中、憲法調査会の面々の任務である。

 ボクの考えを簡潔に述べよう。憲法の中で最も重要なのは、各条項ではなく、前文であるというのがボクの基本。この部分に基本的思想が詰まっているからだ。前文についてどう解釈するか。異論がないと思うのは、「わが国は民主主義、国民主権を選択した」ということ。そして「各国も同じ考えであるとの前提に立ち、国家の名誉にかけて、平和主義を尊重、専制主義を排除することの決意」である。

 ちなみに前文中には「戦力」とか「交戦権」といった言葉はいっさいない。「政府の行為による戦争」は出てくるが、自衛のための戦いがこれに含まれないのは、小学生の国語力で明らか。前文の趣旨について国際情勢を踏まえてしっかり読み込むことが必要なのだ。そして前文をもとに憲法を考えることが必要なのだ。

そこで第一は、この前文について改正が必要かどうか。ボクの結論は「必要ない」である。中国にひれ伏し、人権、自由、民主主義を否定するのであれば別だが、ボクが見る限り、そういう者はほとんどいない。民主主義、人権、自由を尊重する国々との同盟を強化しようとするのが、ほぼ国民の総意である。ならば前文は、とりあえず現行どおりでよいことになる。

 そこでこの前文との整合性の観点から、本文各条項を点検する。すると即座に不整合が目立つのが、第2章部分、すなわち第9条である。世界各国が平和を希求しているとするのが前文での希望的前提であった。そして不幸にも、現在はそれから遠ざかっている。世界侵略を国策として進める専制主義の覇権国家の脅威が現実化し、民主主義国家群は対抗上やむを得ず、軍備増強と連携強化をしている。

 この現実を受け止めれば国策としてすべきことは明瞭だ。その際、憲法条項がこれと整合的でなければならず、万に一つも国策遂行を妨害する謀略に利用される可能性を残してはならない。

 そこで結論だ。第2章第9条を削除する。ボクはこれがもっとも簡潔であると思う。「侵略戦争を文言上容認することになる」といった議論をする者がいるが、前文を読めば明らかに否定されている。9条がなくてもその趣旨は明らかなのだ。

 同時に前文をしっかり読めば、国家の名誉をかけて民主主義、自由、人権を守るとするのであるから、そのための軍備も戦争も否定されていない。ただ9条の書きぶりが正確でないために、「侵略されても戦わない」「奴隷化されてもひれ伏す」といったトンデモ解釈の余地を残すのだ。そこで9条削除に先駆けて、前文の趣旨をしっかり踏まえた9条の正しい解釈を内閣法制局が示し、内閣総理大臣が政府の公式見解として内外に公表する方法が考えられる。これならば衆参の国会議員が三日三晩ほどまじめに議論することで簡単にできることである。  

顧問 喜多村悦史

2021年05月02日