怒苦打身日記 ~協会顧問 喜多村悦史のブログ~

怒苦打身日記290 公職候補者に国民審査を

民主主義と専制主義。「日本国民はどちらを選択するべきか」と問う大バカ者がいる。この問いは現行憲法下においては成り立たない。
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し…」と憲法前文の書き出しで宣言している。日本国憲法は民主主義を宣言している。専制主義国家にしたければ、憲法の心髄部分を変更しなければならないのだ。論理的には、極左勢力こそ憲法改正を主張しなければならないはずなのだが…。
 そこで問題。「国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」(99条)でもっとも重視されるのは、民主主義者であるか否かということだ。民主主義を信奉しない者が、公職に就いて、国民を指導することを憲法は許容していないと考えるべきだ。この点をおろそかにすると、民主的ワイマール憲法下でナチスが国家を乗っ取った過ちを繰り返すことになる。

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 専制主義の姿を知るための格好の書がある。ジョージ・オーウェルの『1984年』。1949年の発表だが、この時点で彼はスターリンのソ連共産党の姿から、近代的専制の恐ろしさを見通していた。もっとも本書で描かれる恐怖は民主主者にとって耐えがたいものに過ぎず、専制主義者にとっては永久支配の素晴らしい統治方法ということになる。
 代表民主主義では選ばれた者に権力行使を委ねる。そこで間違っても専制主義者を代表に選ばないようにしなければならない。しかし衣の下に隠された鎧を透視することは容易ではない。


 そこで公職に就こうとする者に事前資産を行い、不十分かもしれないが、その者に専制主義への傾向が見られないかのチェックをすることが考えられる。その方法として提案したいのが、『1984年』(類書でもよいが)を読了しての感想文を書かせること。そしてその文章をもとに、同じく同書を読み込んでいる有権者から抽選で選抜された者が討論を挑む。その議論をネットなどで生中継することで、候補者の隠された専制主義へのあこがれの有無をかぎ取るのだ。
 これは思想の自由への侵害ではない。近代的専制主義(共産党支配)は思想を統制し、異端を許さず抹殺する。つまり共産党独裁になれば思想の自由は完全消滅するのだから、思想の自由を保障するためには共産党独裁につながるものを排除しなければならない。ただし個人が共産党独裁を夢見ることを禁圧することは、思想の自由に反する。そこで一定の公職に限って、専制主義者の就任を拒絶するのである。


 まず国会議員選挙の候補者に適用してみようではないか。だれもが「自分は民主主義者である」と声明するだろう。だが、思想を隠しとおすことは難しい。有権者との長時間討論で、おおかたは馬脚が現われるだろう。これに対して「職業選択の自由」を言い募り、討論を避けようとする者がいたら、まず怪しいと疑いを持つべきことになろう。
顧問 喜多村悦史

2021年05月17日