怒苦打身日記 ~協会顧問 喜多村悦史のブログ~

怒苦打身日記296 四半世紀前を振り返る

5月12日の「正論」(産経新聞)で村田晃嗣さん(同志社大学教授)が面白い視点を提供している。25年ごとに振り返ってみてはどうかというものだ。

今年は2021年。直近百年を25年ごとに区切ると1921年、1646年、1971年、1996年になる。それぞれのできごとを振り返ると何が見えるか。

1921年は第一次世界大尉戦の終結後。コロナとの対比で、スペイン風邪の終息時期であったことを思い出すが、国際的にはワシントン条約。海軍軍縮と並んで重要だったのが日英同盟の解消。イギリスの支えをなくした日本がどうなったか。

1946年はアメリカによる占領時。戦争放棄の憲法制定だが、その内容は国連憲章の戦争放棄部分だけを丸写ししたもの。憲章が戦争放棄とセットとしている集団的自衛権を写し忘れた中途半端なものだった。

その後、国連憲章が機能を喪失する中で日本は国家独立をどのようにして守るのか。ボクは、憲法前文の趣旨に沿うならば、単純に9条削除で万事納まると考える。削除だけなら、文章をめぐって甲論乙駁の必要はさらさらない。

 

歴史写真素材、ロイヤリティフリー歴史画像|Depositphotos®

 

1971年はニクソン・ショック。民主主義国アメリカがなんと(!)同盟国の頭越しに権威主義の中国共産党と手を組み、台湾を見捨てた。国務大臣だったキッシンジャー氏は今でも正しい政策と強弁しているようだが、経済発展への支援を得た中国がその後どうなったかはだれも知るとおり。

1996年にはその見捨てられた台湾が国民党の国民弾圧路線から転換し、李登輝総統を誕生させた。彼は日本の京都大学で学び、並みの日本人以上に民主主義の価値を理解していたから、中国共産党に平伏しなかった。すると中国が周辺海域にミサイルを撃ち込み、急を知ったアメリカは空母部隊を台湾海峡に派遣し、一触即発の事態になった。

このときは必敗を悟った中国が引いたが、戦力が逆転したときにはどう出るか。それが今日の習近平主席の台湾侵攻宣言。中国では憲法上にも台湾制圧を明記しており、こけおどしと軽視していると取り返しがつかなくなる。

こうした流れの延長線上に2021年がある。歴史通には周知の古代中国の戦国の七雄時代(前403221)における合従連衡策の故事。専制で自由のない秦が強大化する中、残りの6大国(燕、斉、韓、魏、趙、楚)はいかに対処するか。同盟を組んで闘うか。それとも隣人を見捨てて秦にへつらうか。でもその先はやはり併呑される。

村田さんは25年後の2046年に「他国(中国を指していると思われる)に服している」ことにならないよう、日本国民の覚醒を促している。

顧問 喜多村悦史

2021年05月22日