怒苦打身日記 ~協会顧問 喜多村悦史のブログ~

怒苦打身日記326 第五福竜丸

「こんなに大きかったかなあ」

前にも行って見たはずだが、記憶力はあてにならない。

展示館に入ると内部全体を占めている。逆にいれば船体をおさめるための最小限の構築物で覆った感じ。

もっとも太平洋に乗り出す外洋船だから、それなりの大きさがなければ航行もままならないことは頭では理解できる。

 

 

 写真は第五福竜丸船体のお尻部分。見て分かるようにこの船は全部が木でできている木造船。舵(かじ)も材木を継ぎ合わせている。さすがにスクリューは金属製だが。

 第五福竜丸と聞いても、知らない人が多くなっているかもしれない。水爆実験の死の灰を浴びたとされている船だ。1954(昭和29)年31日、この船は南太平洋のマーシャル諸島近海にて、船団を組んでマグロはえ縄漁をしていた。きのこ雲を見て、予想される雨を避けるべく僚船は退避したが、漁具の片づけに手間取った第五福竜丸が集中的に放射能雨を浴びたとされる。それから船員多数が体調不良になり、後日肝機能障害を起こし、そのうち一人が半年後に死亡することになる。

 水爆の放射能を浴びたと国内でセンセーショナルな騒ぎになり、現水爆反対闘争に火が着いた。

 持ち帰ったマグロはすべて帰港した焼津港で処分、捨てられた。第五福竜丸展示館の前に「マグロ塚」が作られている。処分地は静岡県で、記念塚は東京。人間のお墓でも、“埋め墓”と“参り墓”の両様ある事例があるが、それに準じたか。

 ところでミステリアスなのは、第五福竜丸乗組員には重大健康障害が出たが、船団の別船やマーシャル諸島の住民では報告されていないこと。放射能と肝機能障害とは因果関係が高いとは言えず、第五福竜丸での健康障害の原因が別にある(例えば注射針の共用:第五福竜丸 - Wikipedia)との説も有力に唱えられている。

 第五福竜丸はそのまま廃船になったのではなく、1956年から東京水産大学の練習船「はやぶさ丸」として活躍している。大学は放射能を浴びた船だからダメという考えはなかったようだ。最終的に御用済みになったのは1967年で、当時、東京のごみ処分地であった夢の島に打ち捨てられた。それを見つけた人が、記念に残すべきだと言い出し、東京都は費用を負担して記念館が用意されたという次第。

 ところで食べずに捨ててしまったマグロだが、ほんとうに有害だったのだろうか。お刺身にして5切れ、6切れ食べたとしよう。それでどのような健康障害が出るのだろうか。福島沖の魚を出荷してはいけないと、ご親切に韓国政府等が騒ぎ立て、それにおもねって出荷に及び腰になり、さらに処理水の海洋放流も中国政府等の威嚇におもねっていまだに1リットルも実施されていない。

 第五福竜丸は保存されている。その息の長い熱意を、放射能の健康被害の政治色を抜いた純粋な科学分析に活かす必要があると思われる。

顧問 喜多村悦史

2021年06月21日