怒苦打身日記 ~協会顧問 喜多村悦史のブログ~

怒苦打身日記347 大往生

チョコが天に召された。14歳だった。「犬の一年は人間の六、七年」理論に従えば80代から90代だったことになる。平均寿命だろうか。

 

(若かりし日のチョコ)

社会人として一人暮らしをしていた娘の一人が、生まれたばかりの子犬をもらった。しかし仕事が忙しく。定時に帰宅できるはずもない。世話が行き届かないからとわが家が養護施設代わりになり、やがて養子然となって居着いてしまった。わが家には正真正銘の嫡子であるレオ(シーズー犬)がいたが、チョコは自分の立場をわきまえているようで、食事の順もきっちりレオに譲っていた。

レオが弱ってからは、散歩ではバギーに乗せるようになったが、歩き疲れたチョコも一緒に乗せると、仲よく首を前方に並べ、通りかかる人たちが「仲がいいのねえ」と二匹を振り返ったものだ。二匹に夫婦関係はなかったが、相性の良いパートナーだったと言っていいだろう。

レオは睾丸がんになり、手術で摘出した。子孫を残さなかった。レオが17歳(天寿?)で死んだとき、チョコは7歳だった。レオがいなくなってのストレスではあるまいが、数年後にチョコは乳がんを患った。獣医は、今度は手術を勧めなかった。大きく腫れあがったが、それが破れないよう、褥瘡(じょくそう)にも効果がある次亜塩素酸水で消毒を続けた。幸い、痛みは強くないようで、自身でかきむしることもなかった。

食欲は旺盛で、昨日の朝までご飯を食べた。それ以後は水しか欲しがらず、今朝の8時前、読書していたボクの足元で、「ググーン、ググーン」と二度声を上げた。

「さようなら」「お別れね」と呼び掛けているようだった。

 レオのときは「クーン」と言った。そのときも最後に居合わせたのはボクだった。このときは家族が集まる日だったから、娘やその配偶者や孫たちがそろってお別れをした。今回は、ボクたちのほかには、たまたま一時帰国中でわが家に逗留している娘とその子どもでのお別れになった。

「チョコは孤独死でなかったね」

「苦しまず、大往生だったね」

 動物は必ず死ぬ。人間も例外ではない。最後に痛がらず、苦しまなかったチョコはよい終末事例だろう。

「胃ろうや点滴での最後が嫌なら、はっきりと書面で残しておいてよね。そのときになって娘たちで議論したくないから」と居合わせた娘に言われた。

 もっともな指摘だが、まだ書く気にはなれない。

顧問 喜多村悦史

2021年07月14日