怒苦打身日記 ~協会顧問 喜多村悦史のブログ~

怒苦打身日記350 郷に入っては・・・

「郷に入っては」に続くのは?

ボクたち日本人は「郷に従う」のが正しいと考える。

だが、それとは違う考えの者がいるから、ややこしくなる。「自分たちの流儀をいっさい変えない。先住者の方が忖度、配慮せよ」と、一切妥協しない場合である。

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現実に起きている事例を一つ。

大分県日出(ひじ)町で、新たに土葬墓地建設が持ち上がっている。主張しているのはイスラム教徒の一部の人たち。理由は「イスラム教の教義が火葬を認めないから」。イスラム教徒は全国で23人万人いるそうだ。この宗派は、入信はできるが、棄教が認められない。

 

ところがわが国は世界で突出する火葬国。墓地埋葬法に「土葬」の規定はあるものの、99.9%が火葬。奈良県だったか、和歌山県だったかの一部に火葬の風習が残る地域が残る程度。20113月の東日本大震災では火葬が追い付かず、伝手(つて)を求めて情報を取り寄せて急遽、土葬をしたものの、遺族からは「火葬を済ませないと故人が浮かばれない」といった声が出て、東京都内の火葬業者などの協力を得て、土中から掘り起こして、改めて荼毘に付すことになったのは記憶に新しいところ。

キリスト教も死者が復活するためには肉体が必要ということで、土葬が原則だったけれど、衛生面や経済面(土地の使用面積等)から休息の火葬に移行しつつある。

こうした中、教義は絶対というイスラム教徒が土葬墓地の申請を出したわけだ。これに対して近隣住民は反対を表明。町議会も同調している。

ここで方向性は二つ。一つは、「その気持ちはわかるが、ここは日本だから」というもので、国内に葬りたいなら火葬を受け入れるべきであるというもの。

二つは、世界にはさまざまな宗教があり、それぞれに戒律がある。それらすべてを尊重することが多文化共生であり、わが日本は率先垂範すべきというもの。土葬墓地推進の中心人物は、「土葬墓地を全都道府県に一つずつ設けるか、既存の公営墓地に土葬区画を整備するよう」国に要求しているという。

 

ボクはどちらかというと第一の説。社会にはそれぞれ規範がある。不愉快であったりしても、その社会で暮らす以上、その規範に従うべきだ。言葉にすれば、それが「法治」。まったく違う文化風習を持つ者同士が、よい隣人になるのは難しい。多文化共生などの意味不明の言葉遊びではなく、住民の同化を進めつつ、その地域の標準的な文化を少しずつ現実対応で変えていく。現実的対応が重要なのだと思う。

火葬か、土葬か。日本社会ではすでに結論は出ている。これを認めず、各自の主義を通すとなると、インドの人が隅田川の河原で火葬にして灰を流すとか、風葬地域の出身者が富士山の頂上で伝統葬法を実施したいと言い出せば認めるのかの話になる。いくら何でも、というのが、一般人の感覚だろう。常識的に考えれば、解法はあるはずだ。それが「郷に入れば、郷に従う」である。

 

顧問 喜多村悦史

2021年07月16日