怒苦打身日記 ~協会顧問 喜多村悦史のブログ~

怒苦打身日記62 サルは毛が三本足りない?

 差別だ、ヘイトだと、言葉狩りされるヘンな風潮である。

表題も「サルに対して失礼だ」と糾弾されることになるのだろうか。でも、言っちゃえ。

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 ことわざの意味。一つは文字どおりの解釈で、サルは“見分け”(物事の分別、理性)、“情け”(情愛、恋愛、思いやり、雅な心)、“やりとげ”(最後までやり抜く、成し遂げる)で人間に劣るとする。二つは「毛の数を数えても種間に大差ない。近縁種に傲慢に接するな」。『猿の惑星』では、サルが支配者でヒトは家畜かペットと逆転している。

 ヒトとサルとの本質的違いは何か。単独ではなく、群れて暮らす点では同じだが、その社会性に重要な差があるという。その道の研究者によると、チンパンジーの行動は基本的に利己的で、自分にとって得か損かが行動原理である。しかしヒトでは生まれつき他人と協力しようとする。それは生来のもので、両手がふさがっている人がドアの前で困っていると、ひとり遊びをしていた赤ちゃんが手伝おうとすることが実験で確認されているのだとか。ヒトに備わる社会脳として紹介されている。

 これがなぜ必要か。仲間との共同生活を円滑に進めるには、相手の意図を言動、視線などを通して予測したり、欺きを認知したりすることが必要になる。この発達によって協調、共感、場合によっては競争といったコミュニケーションが高度化される。この点でヒトはサルを凌駕しているわけだ。そして言葉や文字の発明で、直接対面しない遠くの仲間とも共通の帰属意識を持つことが可能になった。(この不足が発達障害)

 社会保障は社会脳に基づく。そう考えれば、自助、互助、共助、公助へと濃度を薄めつつ同心円的に広がる社会保障観は自然である。これと異なり、人類普遍の人権論を大上段に掲げ、公助の絶対優先を説くのは観念の世界の遊びである。

顧問 喜多村悦史

2020年09月30日