怒苦打身日記 ~協会顧問 喜多村悦史のブログ~

怒苦打身日記55 護憲の恒久は不可能

護憲運動について考えてみたい。「どの条項であれ、少しでもいじったら、改正が日常茶飯になり、いずれ軍備放棄の平和条項に手が入り、戦争をすることができる国になる。それだけはごめんである」。絶対護憲論者の論旨はそういうことだろう。

 平和は普通の人であればだれもが望む。マフィア、ヤクザでも同じである。だれもがおとなしくミカジメ料を支払ってくれ、警察がシノギ行為に目をつぶり続けてくれるのであれば、平和は続く。また敵対グループが仁義をきっちり守ってこちらの領分にちょっかいを出すことをしなければ、敢えて出入りのリスクを冒すことはない。

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 だがこの種の平和は総じて長続きしない。国家間の平和も同じこと。コロナ後に沸点を迎える米中対立の行方次第か。世界国家ができて各国が主権を委ねてしまえば、国家間戦争は起こりえない。そういう思想が戦後期にはあった。湯川秀樹博士も熱心だったが、現在、この種の理想主義には現実性が1ミリもない。

弱肉強食が世界秩序の法則だ。世界制覇を企てた国家は数多くあったが、実現したことは一度もない。では今後もないかと問われれば、「分からない」が正答だ。

 アメリカ人には民主主義が絶対価値。独裁政党を打破して民主主義の新中国と共存する戦略だろう。だが中国の民主主義は香港でも踏みつぶされた。中国共産党にとって民主主義が絶対悪。黒人暴動などアメリカ国民の一体感を揺さぶり、弱体化させるのが基本線。開発途上国の指導者は総じて独裁支配を好み、国民支配の手段として中国に接近させる作戦も好調。民主主義派の旗色は必ずしもよくない。

 ここで日本国憲法の前文。「民主主義は人類普遍の原理」と言い切っている。中国がこの部分の修正を求めてきた場合、護憲論者はどうするのだろう。

顧問 喜多村悦史

2020年09月23日