
怒苦打身日記 ~協会顧問 喜多村悦史のブログ~
おもちゃ屋の店先で「これ買って!」と泣き喚く子ども。
親は誕生日まで待つようにとでも言い聞かせているのだろうが、
「〇ちゃんも△ちゃんも、皆持っている。仲間外れにされてしまうよう」と、
今度は地べたに仰向けになって手足をバタバタさせる。
頬を一発張れば解決だろうが、“児童虐待”と問題視する風潮だ。
親業なんてやっていられない。少子化の原因の一つだと断定したい。
ボクの母はこうだった。
「ほんとうに必要か、三日間考えてごらん」。三日後に要求を取り下げると、
「他人は他人、自分は自分」とほめてくれた。
今はこの種の「自主性」は評価が低いようだ。
そしてそれは民主主義未成熟の証拠とするのが、精神医学者の斎藤環先生。
人はみな考えが違う。だから議論して相違点を確認し、共存の道を探る。
異論なき全員賛成は全体主義である。
日本では残念ながら異論を許さない。かといって正統説にだれも納得していない。
「なんとなく」という空気で方針、政策が決まっていく。だから失敗してもだれも責任を取らない。取りようがない。そうなるのは個人が自信を持っていないから。
それゆえ過度に周囲に同調する。自信の源泉は承認。同意、支持してくれる家族の意義である。
他人との同調能力に極度の欠陥がある者を「アスペルガー症候群」などと呼ぶ。
脳の病気でどの民族でも発現するはずだが、日本では特別に多く、クラスで最低一人はいるとされる。アメリカでは数が桁違いに少なく、病名も撤廃されたという。
まったく会話が成り立たないのは困るが、頓珍漢な程度であれば、ああいうタイプの人だよと受け取るわけにはいかないのだろうか。
「みんな違って、ちょうどいい」。考えが違うから、どう協力し合えるかを考える。
そういう社会を目指したい。
顧問 喜多村悦史
2020年10月02日