怒苦打身日記 ~協会顧問 喜多村悦史のブログ~

怒苦打身日記74 民主化弾圧を暖かく見守る?

文書から露呈する天安門事件当時の日本の緩さ

衝撃の外交文書である。外務省が1989年の天安門事件(64日)に関連する外交文書のうち秘密解除の9冊(3123枚)を公開した。民主化を求めて北京の天安門広場(故宮南門)に集まった丸腰の学生集会に対し、共産党に命じられた軍隊が発砲し、戦車で蹴散らした事件であり、死亡者総数はいまだ明らかになっていない。全世界を震撼させた蹂躙、虐殺であり、西側諸国は経済封鎖で対応することになった。

 その中でわが日本国政府はどうしていたか。

「諸外国の対中圧力は逆効果」(65日、在北京大使館から外相宛て至急電報)。

「人道、人権問題を対中経協(経済協力)政策に反映させるのは長期的な対中関係から行き過ぎであり、対中経済援助(ODA)を継続する」(621日、対中経済援助文書)。

「民主・人権より、中国の経済開放政策を支持すべき」(622日わが国の対中政策)。

「状況に反応せず、温かい目で見守る」(626日、日米外相会談での発言要領)。

 その結果どうなっているか。中国は日本の資金をもとに経済発展に邁進し、軍事力を増強、周辺諸国への領土侵奪を遠慮しなくなり、少数民族への同化強制を正当化している。わが外交政策はすべてが裏目に出ている。この失敗から何を学ぶべきか。

「白色のハイビスカス」の写真

 当年の内外の政治状況を振り返ってみよう。17日、昭和天皇崩御(平成へ)。222日、ハンガリーで複数政党制復活。62日、竹下登内閣から宇野宗佑内閣へ。64日の天安門事件を挟んで、810日、宇野内閣から海部俊樹内閣へ。1111日ベルリンの壁崩壊。123日、米ソマルタ会談で東側専制国家群の体制変化が確定化。

 今一歩で地上から消えるはずだった専制主義国家を生き返らせた調本人は日本国である。そう弾劾されても、反論の言葉が見つからないのがつらい。

顧問 喜多村悦史

2020年10月11日