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怒苦打身日記㉗ 美醜は主観に過ぎない

 

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本人も自覚する醜(ぶ)男がいた。自分似の娘をたいそう案じていたのだが、遠い外国の男とその家族に働きぶりを気に入られ、今では異国農家の女主人として幸せに暮らしている。そういう文章に出会った。ブスの娘が壁を乗り越えた安堵を書いているのだが、それは違うだろう。醜い相手と生涯をともにしたいと思う若者がいるはずがない。その男の眼には、この娘が美人に見えるのだ。

 人の価値観には付和雷同するところがある。

美人コンテストで特定の人に票が集まるのはそのためだ。だが自身の伴侶選びになると、評価基準は人さまざまになる。判断箇所も顔だけではなくなり、素足美人、黒髪美人、ぽっちゃり美人、性格美人…と広がる。親からもらった体にメスを入れて、整形に余念がない人がけっこういるらしいが、特定の人から「手術すればもっと好きになる」と言われたならばやめた方がよい。その人と別れ、別の人と恋仲になれば、痛い手術の繰り返しだ。

 古典の先生が一重瞼を気にする女生徒に言う十八番があった。「キミ、千年前に生まれていたら美人だったのになあ。でも気にするな。流行は気まぐれ、昔に戻る可能性はある」。女生徒は笑顔に戻ったが、今はセクハラで教師は失職か。

 平安美人の代表とされる小野小町。彼女の百人一首は「花の色はうつりにけりな、徒(いたづら)に。わが身世にふる、ながめせし間(ま)に」。さてそのお姿だが、挿絵は十二単姿だから、細身か太目かは窺いようがない。顔の半分も袖で隠されているのだが、両の目は細く、その下はいわゆるカギ鼻である。彼女がタイムマシンで現れたらどうだろう。現代的ハンサムとはお互いにソッポを向き、予想外の男と手をつなぐだろう。美醜はあくまでも主観。判断基準の多数派は、正義でも善でもない。

喜多村悦史

2020年08月31日

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